2003年04月29日
やっぱり私が選挙に出馬しないとだめかな
『GO』(金城一紀著・講談社文庫)を読んだ。在日朝鮮人の高校生を描いたこの小説は、一応、恋愛物語なんだけど、在日朝鮮人や韓国人に対する差別とか、偏見などについても書かれていて、でもそこは、高校生のお気楽さで説明しているので、とてもわかりやすく、4時間くらいで読んでしまった。読み終わって、つくづく「自分のアイデンティティってなんだろう?」と考えた。
私は、仙台で生まれ、仙台で育ち、日本の国籍を持っている日本人(だと思っている)。でも、もし、私を管理している役所が火事にあって、私の戸籍がなくなってしまったら、私はなにをもって、「日本人」と証明するんだろう。日本語が話せることで? 納豆が食べられることで? じゃあ、祖国ってなに? 日本で生まれ育った外国籍の人の祖国はどこ? 故郷は祖国と違うの?
じゃあ、仮に、国という境がなくなったらどうなるのだろうか。世の中は乱れるのだろうか。
国がなくなった方が、メリットが大きいと思う。人々は、自分の働きたいところ、住みたいところに自由に行けるので、パスポートやビザなんてものはなくなり、難民もいなくなる。国の所有物はなくなるから、国家レベルでの大規模な戦争は、なくなるのではないか。
国に縛られて、飢えで苦しんでいても、そう簡単には、肥沃な土地に移動もできず、働きたくても、仕事が見つからないという現状は、回避されると思う。(ここで、税金はどうなるのとか、法律はどうなるんだとかいう難しい話になってくるかもしれないけど、そのことは、あとで考えるとして。)
日本は、まだまだ鎖国みたいなことをやっている。外国人には、税金を払わせておきながら、住民票は渡さない。アザラシや漫画のヒーローには住民票を出すのに、生身の人間には、外国人というだけで出さない。それに、国籍によっては、クレジットカードも作らせない。アジア、中東から来た労働者にビザを出さず、不法滞在者をわざと作り上げている。
そのくせ、国際交流とかいって、近所にいる外国人に、寿司を食べさせたり、着物を着せたりすることで、「私達は、あななたちを歓迎しています」なぁんて、善人ぶったりする。
でも、外国人が欲しいのは、寿司でも着物でもなく、ビザや住民票だ。選挙権だって、一定期間在留していれば、あげてもいいと思う。その方が、景気が良くなると思うよ。だって、日産自動車の社長を見てごらん。彼は日本人じゃないけど、あっという間に日産を立て直したでしょう。
今の時代、「なに人か」なんかで、くくられる時代じゃないと思うよ。地球規模で考えなくちゃいけないこともたくさんあるんだからさ。だから、私も、中国人に間違えられても、もう、怒ったりしないよ。宮城県人を岩手県人と間違えたくらいに思うよ。
日本もさ、色々と新しい時代に対応して変わって行かなくちゃならないのに、国会中継を見てると、国会議員の賄賂疑惑とか女性問題なんかの、どうでもいい、人のあら探しばっかりで、世の中良くなるわけがないよ。
いっそのこと、5年以上勤めた国会議員は、もう定年にして、新しい人を増やさなくちゃだめだよ。もちろん、秘書も5年で定年。そうしないと、政界に住む「カビ」がいつまで経っても取れなくて、すぐに繁殖しちゃうから、一度、全てきれいに捨ててしまって、新しいものを入れた方がいいよ。
もちろん、初めは混乱するかもしれないけど、今よりもずっと良くなると思う。その為には、ちゃんとした人を選ばなくてはいけないから、みんな選挙に関心を持つようになるよ。
今の、選挙期間の2週間をもうちょっと伸ばしてさ、あの名前だけ連呼する選挙カーはやめさせて、その選挙区の有権者一人一人に、立候補者のプロフィールと公約の内容をしっかり理解してもらって、その上で投票させたらいいと思う。
それで、当選したあとも、公約を守らなかったり、変な行動したらすぐに、解雇できるシステムも作らなくちゃね。
でも、選挙制度を変えるにも、政治家にならないとだめなんだよな。じゃあ、私も国会議員に立候補して、総理大臣になってみようかな。
2003年04月27日
暗い未来
友達に誘われて、友達の妹が所属する劇団の現代演劇を見に行ってきた。
私は、現代演劇を見るのは初めてなので、どういうものかわからないまま、作品を見た。
内容をざっと要約すると、時は23世紀。21世紀の終わりに起こった核戦争で世界は1度滅びたが、生き残った人々で国を興し、1世紀かけて国を繁栄させようとした。が、再び豊かな土地をめぐって、戦争が起きた。この戦争で、東国は南国を制圧し、東国の王が伝説の『黄金の羊』を手に入れたという噂が、広まった。この羊の皮を身にまとうと、永遠の命と富がもたらされると言われていた。
しかし、東国は西国にやぶれ、東国の王は西国の捕虜となり、『黄金の羊』のいる場所に向かって船を出した。
船の中には、西国の王、西国の軍人、娼婦、伝記作家、東国の王とその息子の総勢28人が乗り込んでいたが、羊がいるという島の近くまでくると、船の中で裏切りや仇討ちなどが起こり、西国の王は殺され、東国の王も殺され、他にも何人も殺され、結局そんな『黄金の羊』なんてどこにもなかった。
という話。わけがわからないと思うけど、私もわからんので、すみません。
感想は、確かに劇団員だけあって、みんな演技はよかった。でも、脚本が悪く、私は一度も笑えなかったし、泣けなかった。せっかく、あんだけの人数を使えるのならもっと面白いものを書いてもいいし、役者一人一人の個性が消されているようにも思えた。
でも、なんで『未来』をテーマにした作品は映画や漫画などいろいろあるけど、殆ど、『核戦争で崩壊』とか『新種の生物が人間を襲う』とかいうなんか夢も希望もないようなものばかりなんだろう。
私が、23世紀を描くとしたら、街は緑であふれているが、空飛ぶ自動車や家事をするロボットもいる。で、環境汚染問題はなく、全てバイオテクノロジーによって、海も川もきれいで魚が泳ぎ、オゾン層も守られ、公害もなく、絶滅危惧種もなく、人と自然が調和して生きているようなそんな未来だ。
今、排気ガスがどうの、有害物質がこうのといって、そのものを使わないようにしようという考えが先に立っているが、今まで、自動車はガソリンで走ってきたし、冷蔵庫だってフロンガスで動いてきたんだから、その有害物質をなにかと反応させることによって無害にする技術はないのだろうか。
ここまで文明社会を作っておいて、今さら原始時代のような生活をしなさいなんて言われても、みんな困るんだよ。だから、もっと研究してさ、納豆のネバネバが淀んだ水をきれいにするように、汚しても安全にきれいにできるシステム作ればいいんじゃないかな。
2003年04月26日
理想の母親
夕飯の時に、旦那と家庭料理について話をしていた。
彼は、殆ど毎日、屋台でご飯を食べていたという。家での食事は、ちょっとした焼き魚とかだけで、小学生の時から朝は屋台のナシレマ(ココナッツミルクで炊いたご飯に煮干しを唐辛子で絡めたものがのっている)を買って、お昼は焼きビーフンなどを買って、夜も家族で屋台に行って食べたといい、外食しない日はないという生活をずっと続けてきた。
その反面、私の家では、殆ど店屋物を食べた事がない。多くて1ヶ月に1度か2度。しかも、日曜日の昼に近所のラーメン屋から出前を取る程度で、母がどこかへ出掛けるとしても、絶対に作ってから出掛けていた。
こんなエピソードがある。
夜に母が出掛けるので、夕飯何がいいかと、留守番の私と姉に聞くと、「買ってきたお弁当を食べてみたい」と言うので、母は、弁当を2つ買ってきて、置いて出ていった。
母が帰ってくると、その弁当に殆ど口をつけておらず、どうしたのと聞くと、姉と私は大泣きしながら、「食べたら味気なくて寂しい気分になったからもういらない」と言い、母は、もう2度と、お弁当を買って置いて、出掛けたりしないと心に誓ったらしい。
それからというもの、高校生の時も、毎日母の手作りのお弁当を持っていき、短大生になっても、はずかしながら社会人になっても母の弁当を食べていたので、出張で2日間コンビニの弁当になったりすると、コンビニの前を通るのもいやになってしまうようになった。
母の教えからか、食事は家で作って食べるものと思ってはいたものの、結婚した当初は、共働きだったことも、マレーシアに住んでいたこともあってか、外食ばかりしていたけど、やっと最近、仕事も辞めて専業主婦になったのもあるが、毎日、朝は焼き魚と納豆でご飯、昼は旦那に弁当を持たせ、夜もちゃんと作るようになった。まぁ、時々手抜きをしたいので、週末は外食することもあるけど。
今思えば、実家にいる頃、殆ど風邪を引かなかった。引いてもすぐに治ったのに、結婚したら、2ヶ月に1度は風邪を引き、高熱は出るわ、咳は止まらないわ、なかなか治らないわで大変苦労した。
去年あたりから、毎日3食、ちゃんと食べるようになってから、体調が良くなって、風邪を引いてもそんなにひどくならなくなった。
母親の仕事って、目立たないけど、すごく重要なんだと、母になってやっと、母の偉大さ、大変さがわかった。
いつか私も、肝っ玉かぁちゃんと呼ばれるような人になりたいな。
私の理想の母親像は、
- 言葉はちょっとなまっている
- 素朴なんだけどおいしいく心が温まる料理が作れる
- 誰とでもすぐ仲良くなれる
- あんまりおしゃれじゃない
- 気が利く
- 人情に厚い
こんな人が私の理想の母親だなぁ。
2003年04月24日
もう時効だから言えること
最近、よく夢を見るようになり、夢の中の私は、なぜか高校生だったり、中学生だったり。そして、旦那や子供達が出てくることもなく、バレーボールを一生懸命やってたりする。
バレーボールは、5歳くらいから結婚するまで約20年間やってきた。そんなに好きだったバレーボールだけど、苦しいときもあった。(なんか、歌の歌詞みたい)
高校生の時が一番苦しかった。部活の先生がへんな人で、そのおっさんに振り回されてた部分も大きいかも。
その先生のあだ名はヒー。ヒーは、はげでチビの独身の男の先生。見るからにあやしそうなやつで、いまだに大嫌いである。
私は、高校1年生からバレー部の部長をやっていて、毎日昼休みにこのおやじのところに、練習メニューなどを聞きにいかなくてはいけないので、昼休みがいやだった。そして、部長だとなにかと自分の事でもないのに怒られるので、精神的にもヒーにやられていた。
そんなヒーに私は高校2年の夏の合宿の時、あるいたずらをした。
合宿は、結構きつい。朝6時から夜7時くらいまで、練習、練習でいやになる。なので、自然とヒーに対する憎悪の念は深まる。
どうにかあいつをやっつけようと、みんなで便秘薬をヒーの食べるものから飲むものまで、全部に入れることを思いついた。
便秘がちな部員が、その薬を持ってきて、夜中、布団の中で、懐中電灯を照らしながら、まな板で小さく刻み、翌朝、料理をする部員に渡し、全部の料理に下剤をいれた。
朝食を済ませ、私達は練習を始めた。
ヒーが練習が始まって1時間ほどすると、トイレに入り、それからしばらく入ったきり出てこない。
私達は、あやしまれないようにわざと声を大きくだし、適当にボールを床に打ち付けながら、笑いをこらえつつ、さぼっていた。
ヒーはそのあと何度もトイレに出たり入ったりを繰り返し、その日の午前中の練習はとても楽だった。
昼食の時間になり、ヒーは自分の分だけうどんをつくるように料理班に告げるが、そのうどんの中にも下剤が入っている。
午後の練習中、彼はベンチに横になりながら練習を見ていた。顔色も真っ青。私は、一応彼を気遣い、「大丈夫ですか?」といいつつ、また下剤の入ったポカリスウェットを手渡す。
とても楽ちんな練習が終わる頃、うちの母親が練習を見に来、なにやらヒーと話してから、すぐにどこかへ行き、ヒーの症状を心配した母は、うどんを買ってまた戻ってきた。
そして、私に「先生なんだか体調崩しているようだからうどん作って食べさせてあげてね」と言って手渡し、帰っていった。
そんな何も知らない母の善意を無駄にしないよう、その夜もうどんを先生につくってあげた。もちろん下剤入りで。
合計20錠くらいの下剤をヒーは飲んだことになる。
そんなにお腹を下したのに、ヒーは自分が風邪を引いたのだと勘違いしてくれたお陰で怪しまれることもなく、合宿は終わった。
結構、恐ろしい高校生だったかも。
彼は、私が卒業した次の年に急に学校を辞め、違う学校に行った。あとから聞いた噂では、学校を変えたついでに、カツラもつけたらしいとのこと。
2003年04月23日
後悔のない人生はない
最近、友だちが次々と結婚する。なんとも喜ばしいことだ。私は今年で三十路。そんな区切りもあってか、友だちは30になる前にギリギリ20代で結婚しようとしているようだ。
私が結婚したのは、24歳10ヶ月の時。クリスマスイブに売れたケーキだったわけ。結婚式は、マレーシアの老舗ホテルで270人呼んで盛大にやったんだけど、今も後悔してることがある。今さらどうにもならないから『後悔』してるんだけどね。
それは、270人中殆どが旦那の親戚や知り合いで、私の親戚はたったの9人。しかも、うちの父は結婚式の2ヶ月前に小脳梗塞をおこし飛行機に乗れないため、出席せず、兄夫婦も父の面倒を見るためこなかった。
なので、父には私の花嫁姿を実際には見せていない。そのころは、写真だけで充分かなって思っていたけど、でも、娘を持ってみてやっと気が付いたんだけど、なんで一時帰国したときにでも、結婚式の2次会のような感じでもいいからやれば良かったのになぁと今さらながら思うのである。マレーシアに来られなかった親戚や友だちも呼んでささやかなパーティーでもやれば、父にもなんていうか娘としての親孝行というかしてあげられたし、私も友だちに祝ってもらえたのにと今さらながら思うのである。
本当に結婚して5年も経って、子どもも2人も産んでこんな話をするのはおかしいかもしれないけど、友だちが結婚すると聞くと、どうしてもこのことを考えてしまうのである。
私の小さい頃からの夢は、自分の結婚披露宴は学校の体育館みたいな大きなところを借りて、たくさんの友だちを呼ぶことだった。願いは、たくさんの人を披露宴に呼ぶというので叶えられた部分もあるんだけど、ちょっとというかだいぶ意味は違う。
もし、魔法で5年前に戻れるなら、無理してでも借金してでも仙台で披露宴やるのにな。でも、そんなに披露宴したいなら、再婚すればいいのか。でも、再婚もきついよな。こぶつきだし。しかも2人。
再婚となると、今度はあんまり公にしたくないからなぁ。しょうがない、あきらめるか。(わりとあっさりしてたりして)
2003年04月21日
日常は平凡
先日、赤の冷静と情熱の間をかいたら、なんだか次のものは何にしようか迷ってしまって、まだかけないので、普段の日記に強引に戻してしまおう。
それにしても冷静と・・・は随分反響が大きかった。あれは、旦那が随分前に書いた文章(自分に正直になれない)を最近またアップしたので、それに対して私の立場から書いたもの。これはノンフィクションでありまして、もし、あの時2人が会ってなければ、今の生活もないわけで。
人生は面白いですねぇ。
もし、私がkenlooと結婚してなかったら、今頃仙台で毎日野鳥や植物を追いかけ、週末は映画とアイスとラーメンという平凡な日々を過ごしているのかもしれないな。
彼と結婚して、人生ががらっと変わったのは、英語が話せるようになったこと。高校の時に、5択のマークシート方式の英語のテストで200点満点中、8点という点数をとった私。その私が、いまじゃ、香港映画は英語の字幕で楽しんでいるというなかなかすごいことになってます。でも、顔はチャイニーズだけどね。チャイ語話せないの。わざと勉強しないようにしてるっていうのもあるんだけど。話せるようになったら本当にみわけつかなくなっちゃうからね。
実は私、スイスにも1年住んでいたので、ドイツ語もできるんだけどさ、なにせスイスの農場にホームステイして酪農やってから、普通のドイツ語できないで、農業用語しかできないの。変でしょう。でも、もうだいぶわすれちゃったけどね。
2003年04月19日
赤の冷静と情熱の間
1997年の8月12日。私は飛行機の中から雲を眺めていた。雲を眺めているといろんなものに見えてくる。人の顔だったり、動物の形だったり。
たった独りでシンガポール行きの飛行機に乗っていた。手には読みかけの『深夜特急』。
機内アナウンスが入った。
「当機は予定より30分はやくシンガポール国際空港に着陸いたします」
いよいよだ。2ヶ月前に人生のパートナーとして付き合ってくれないかと手紙でプロポーズされ、その後、何通も手紙をやりとりして、お互いの気持ちはわかりあっていた。でも、手紙だけではわからないので、私のお盆休みを利用して仙台から直行便が出ているシンガポールで待ち合わせることにした。付き合ってから面と向かって会うのは初めてである。
どういう風に挨拶しようか、『お久しぶり』じゃ他人行儀だし、『待ったぁ?』でもないし。。。
そうこう迷っているうちに飛行機は着陸し、イミグレーションを抜け荷物を受け取り、到着ターミナルへ出た。
時間は夕方5時半。あたりを見回しても彼の姿はない。到着予定時刻は6時と伝えてあったからまだ来てないのかな。とりあえず到着ロビーの椅子に座って待つとしよう。読みかけの『深夜特急』を読みながら時々頭を上げて彼が来るのを待った。
6時。まだ彼は現れない。また、『深夜特急』を読む。
6時半。まだ彼は来ない。到着便を知らせる画面に私の乗ってきた便名が随分下の方に表示されている。もしかして、反対側の到着ロビーいるのかもしれないと荷物を持って移動し、そこでしばらく待つことにして、また『深夜特急』を読む。
6時45分。まだ彼は姿を現さない。読んでいた『深夜特急』が快速になり鈍行になりついに止まった。到着便を知らせる画面には、もう私の乗ってきた便名はない。ロビーをうろうろする。一応、母に電話し、無事着いたことを報告する。もちろん、彼にちゃんと会えたよと嘘をついて。
なんで来ないんだろう。彼の携帯や家にも電話したが留守電でつながらない。もしかして、来る途中事故にあったのかもしれない。インフォメーションセンターに聞いてみようかな。なんて聞けば良いんだろう。私は英語が話せないし、今回は彼が全部コーディネートしてくれると思って、ガイドブックもトラベル英会話も持ってこなかった。もう一回反対側のロビーを探してみよう。
7時半。そうだよな。こんなうまい話あるわけないんだよ初めっから。今まで、告白されたことなんてなかったし、第一強い女がいいなんていう人どこにもいないよなぁ。でも、なにも騙すなら日本を発つ前に騙していたといってくれよ。独りでシンガポールに10日間もいられないよ。帰りまでどうしよう。どうやってみんなに説明しよう。
7時45分。もう決めた。8時まで待って来なかったら、自分でタクシーに乗ってどこかホテルに泊まろう。これ以上遅くなったら、身動きがとれなくなる。あ〜なんて私はバカだったんだろう。あんな男に騙されて。でも、彼はなんで私を騙したんだろう?別にお金も取られてないし、何が目的だったの?でも、あの手紙や電話は全部嘘だったの?そんなぁ、そんなぁ。。。
8時。これが最後。もう一回全部ロビーを見渡していなかったら、タクシーに乗ろう。
やっぱり、いないか。でも、遅れてもいいから絶対来て!お願い!お願い!神様、仏様!
「あっ、いた。」
遠くで日本語が聞こえた。声のする方を見ると、息を切らして走ってくる彼の姿が見えた。
ほっとしたので、涙が一気にあふれ出す。挨拶なんかどうでもいい。彼は、何度もごめんね、ごめんねといいながら私を抱きしめてくれた。よかった、騙されてなかったんだ。
涙がおさまって、なんで遅れたの?と彼に聞くと、彼はあたかも近所から来たように、「バスに乗り遅れて。」と言われ、私はなんだか気が抜けてしまった。
2003年04月17日
Are you from mainland China?
昨日、旦那のビザ申請の為、入国管理局に行った。すごくきれいな館内で、子供用の遊び場や授乳室まである。
まだまだ順番が回ってこなかったので、私はカリンにおっぱいをあげようと授乳室へ行った。すると、一組の韓国人の親子がそこにいて、お昼ご飯を食べていた。
子供の方をよく見ると、まだ小さい。カリンよりも小さいのにコンビニののり巻きを食べている、というか無理矢理食わせられている。ペットボトルのお茶も飲んでいる。すごい!カリンは最近やっとおかゆを食べ始めたのにと思っていると、その子のお母さんが英語で話しかけてきた。
"How old is your baby?"
"5 month. What about yours?"
"3 month."
"えっ、so small but she is eating."
"yah yah she ate from yesterday."
おいおい、昨日からかい。さすがにお国が違うと子供の離乳食からして違うのかなぁ。インド人は離乳食の時からブラックペッパーを食べさせるっていうしなぁ。
おっぱいをあげ終わったので、今度は隣の子供の遊び場でエリンと遊んでいた。エリンはその韓国人の赤ちゃんが気になるらしく、何度も授乳室に行って赤ちゃんを見ていた。
すると、さっきのお母さんはエリンに向かって、「ニーハオ」とか「シェイシェイ」とか言っている。もちっろんエリンには北京語なんて教えてないし、聞かせてもいないので、きょとんとした顔をしている。
そのうちその韓国人のお母さんが申請の窓口に呼ばれて、係りの人と話している間、赤ちゃんが大泣きしていたので、旦那があやして泣きやませていた。
そんな事もあってか、彼女と親しくなり帰りも途中まで一緒に帰ることにした。
エレベーターを待っている間、急に彼女が私に向かって、"Are you from mainland China?"(中国本土から来たの?)と聞いてきたので、私は慌ててノーノーと言い、旦那が助け船を出してきて、"I'm from Malaysia."と言ったので彼女はちょっと混乱気味だったけれど、それ以上は聞いてこなかった。
そうか、彼女はずっと私を中国のど真ん中から出てきた人だと思っていたのか。日本人には見えないのかなぁ。
そういえば、マレーシアにいたときも、日本人と仕事の打ち合わせしてたとき、その人からゆっくり大きな声で、「日本語わかるかなぁ」って聞かれて、自分が日本人だって言い出せなくなって、「スッスコシ」と答えた事もあったし、税関で並んでたら台湾から来た人に、まさに同郷の人がいたって感じで、「この書類どうかくの?」みたいな事を中国語で聞かれ、「アイアムジャパニーズ!!」って言ったら、すごく驚かれたり、KL市内を歩いていると、最初広東語でバスの乗り方を聞かれ、私が全く反応しないと今度は北京語で、次は福建語で聞かれ、今度は声を大きくしてみたりするけど、私は中国語全部わかんないっつーの。
香港では地元の人用の携帯電話の勧誘に何度も引っかかり、スイスにいた時は、野良焼けしていたせいもあってか、タイ人に見られて、日本人だというと、「タイ料理のレストランで働いているの?」とか言われていたっけなぁ。
その時は、ちょっといやな気分だったけど、時々私が日本人に見えないことを利用して、家にくる保険の勧誘の人に、「日本人ジャナイ保険ハイレナイ」と嘘をついて、保険のおばちゃん達に日本語上手ねと褒められ、うちで働かないかと誘われた時もあった。
友人がモンゴルに行ったときに、私に似ている人がたくさんいたと言っていたけど、こんなに間違えられると本当に自分は日本人なのかと思う。もしかして、本当のお母さんは万里の長城付近にいたりして。
まだ、中国に行ったことがないけど、もし、空港に降り立ったら、どこからともなくおばあちゃん達がたくさん涙ながしながら私の所に寄ってきて、「よく帰ってきた。探したんだよ。」なんて言われるんじゃないかな。
2003年04月16日
カメラ付きごめんなさい携帯
先週、カリンの出生届を出すためにマレーシア大使館とビザの変更のため入国管理局に行くので、1日で全部終わらせようと思っていたので、旦那が会社を休んだ。
前の晩、全部書類は揃えたのと彼に聞いたら、面倒くさそうに「揃えた、揃えた」という。でも、彼はいつも書類をいくつか忘れるので、私は口を酸っぱくして何度も聞いた。
出掛ける前にもあれ持った?これ持った?と聞くと、彼は「もういいから行くよ」とまた面倒くさそうに言った。
これ以上言うと喧嘩になるので、心の中で自分が最終確認しておけばよかったなぁと後悔しつつ、大使館へ行った。
案の定、3つ以上の書類を忘れていた。大使館の後に管に行くはずだったが、その書類も足りなかったので、ひとまずうちに帰って出直すことにした。
でも、市役所によって書類をとったりしたので、入管の最寄駅に着いたのは4時近くで入管は4時に閉まってしまうのでもう行けない。
また、そこで喧嘩になって、さんざん朝行く前に書類全部持ったかどうか確認したでしょうと彼を攻めると素直に謝った。
埼京線を2往復もしてしまって、ばかばかしい一日が過ぎていく。彼は、「別にいいじゃん」と相変わらずマレーシア感覚でものを言うが、私達だけならともかく子供達を連れて行くのは結構疲れるのである。
プンプンしていると、彼が、「じゃあ、あんたの新しい携帯買いに行こうか」というので、結局買収されて仲直り。
カメラ付き携帯を買って、毎日独りで遊んでいたら(考えて見たら写真送る人がいなかったんだよねぇ)旦那も新しいのが欲しくなり、昨日旦那も新しい携帯を買った。
そして、2人で今携帯にはまっている。
2003年04月15日
かりんが笑った
久しぶりの日記。
実は先週、春になって気分は晴れ晴れかと思いきや、なんだか自分のやっていることが思い通りに行かなくなったりして、ちょっとブルーになってたので、日記を書いたんだけど、どれも悲観的で消しちゃった。
で、色々と考えてやっぱり今は育児だけに専念しようって思って、誰も評価してくれないけど、子供を見ていれば、私の頑張った成果が出てくることを期待してもう少しのんびりゆったり構えてみようと思った次第でございます。
エリンも随分親の真似をするようになって、カリンが泣いてると、胸をとんとんしながら「は〜い、は〜い」と言ったり、折り込みチラシをその辺に置いておいたら、丸めてゴミ箱に捨てたり、ペットボトルの飲料を飲み終えたらちゃんとペットボトル専用のゴミ箱に入れたり、ちゃんと教えなくても見ているから、へんな事はできない。
だから、お気楽極楽の専業主婦って言われるかもしれないけど、子供だけは外に出しても恥ずかしくない子に立派に育てあげて、それから自分のやりたいことでもやろうかな。
そんなこんなの先週で、土曜日に旦那に八つ当たりしたんだけど、日曜日は気分転換も兼ねて明治神宮内から代々木公園にかけてお散歩。エリンも興奮しちゃって道なき道を行くので、せっかくのワンピースが泥だらけ。
でも、大きな木の下をゆっくり歩くと気分も晴れて旦那とも仲直り。そしたら、カリンがケラケラと笑った。前は、鼻で笑う感じだったけど、今回は声を出してケラケラと。
カリンも気分が良かったのかもしれない。でも、笑わせたのはお父さんが最初なんだけどね。エリンに次いでカリンまでも旦那の方がいつも一緒にいる私より先に笑い声を聞いたのはちょっと嫉妬。
まあ、子供達と同じレベルの旦那だから笑ったのかも。ハハハ。
で、昨日、私も必死にカリンを笑わせようと、カリンばかりかまっていたら、エリンが嫉妬して、私の見てないすきに、カリンの指をかじって意地悪していた。
2003年04月07日
サクラサク


川口駅のすぐ近くに、桜の公園を電車の中から発見。今日は晴れたので、お花見に行って来ました。やっぱり、桜はいいなぁ。なんだか心がウキウキしちゃうよ。
エリンは、はしゃぎ過ぎて、昨日の雨で湿った地面に足を滑らせて転倒。顔面どろんこになって、鼻血も出て大泣きしていたけど、すぐにそんなこと忘れて、滑り台で遊んでいました。
2003年04月06日
2003年04月02日
エリンのすくすく日記
エリンは、まだ言葉が話せない。なので、彼女には1歳になったころから、手話のようなものを教えて、例えば、「ちょうだい」だったら、右手をパーにして左手の人差し指を右手に置くといったような、簡単な合図を教えていた。
今は、ゾウとかバナナとかあひるとかは、手話で表現できるし、「なんでだろう」も踊れるし今日は、「なーんちゃって」も教えた。
私は、エリンの前で自分を「おかぁさん」と呼んでいた。旦那も「お父さん」と。なので、彼女はまだ私達を呼ぶことができず、「ガッガー」としか言えない。
そこで、「ママ、パパ」と呼ばせるようにしようと、私と旦那で、人差し指を鼻にあてながら、これが「ママ」こっちが「パパ」と教えていた。
すると、彼女は勘違いして、ママ、パパと言うと、鼻に指をあてるようになってしまった。



