2003年03月30日
春が来た
先週、神戸・大阪から帰ってきて、1週間。なかなか疲れが取れない。神戸の坂を何時間も歩いたりしたので、筋肉痛になってしまった。それが次の日ではなく、3日後にやってくるのは年をとったせいかも。
疲れがとれないまま、今日、川越に行って来た。なかなか面白い街で、蔵とか芋ソフトクリームとか、出世神社とかを見て、食べてまわり、今日も3時間くらいぶらぶらと歩いた。
疲れて疲れて、普段電車では眠れないのに、寝てしまい、頭を思いっきり窓にぶつけて起きた。
やることがいっぱいあるんだけど、遊んでいるのでやる時間とやる気がでない。やばいなぁと思いつつ、今日も早く寝ようかな。
2003年03月25日
2003年03月24日
神戸・大阪に行ってました
19日の朝、突然旦那が、
「明日休み取ったから4連休なんだよね。神戸に行こうか。ちょっと調べてみて。」
とまるで近所の公園にピクニックに行くような感じで言われ、それから大急ぎでインターネットを駆使して、有馬温泉の宿を取り、神戸に行ったついでに、大阪も回ろうというので、大阪の宿を探したけど連休だしどこも空いてない。
そこで、大阪に住んでいる高校の時の友達と、マレーシアにいたときに同じ会社だった人に連絡を取り、泊めてもらうことに。
色々調べたりしている間は、子供はほったらかし状態で、後ろでピーピー泣いていても、かまっている暇はない。はやくしないと切符を買いにいけなくなるし、ご飯の用意もあるしとピリピリしていると、旦那からメールが。
「苦労と思うんだったらいかなくてもいいよ。」
この一文で怒り爆発。宿も取って、友達にも連絡して泊めてもらえるようになったのに、この言いぐさはなんだい。
旦那が帰ってきてからも私の怒りは収まらず、旦那の一言一句に文句を付けていたら、旦那に逆切れされて大喧嘩に。
こんなんで旅行になんか行ってられるか!独りで行ってやる!と家出計画を立てつつ、自分と子供達の分だけ荷造りをしていると、旦那が機嫌取りにケーキと紅茶を出してきた。
こんなケーキで許さないぞと思いつつ、旦那の思惑通り、終戦に。
翌朝、はやめに家を出て、神戸へ向かった。
神戸は、街全体がベーカリーから漂ってくる焼きたてのパンのにおいで包まれ、震災の後もほとんどなく、すごくきれいな街だった。
普段、あまり入らない洋食レストランに入り、ズワイガニと空豆のパイを食べたり、明石焼きを食べたり、有馬温泉につかって、異人館を見て。
神戸はいいなぁ、住もうかなぁと思ったりなんかした。
次の日は、大阪へ。友人の家にお世話に。お好み焼きをご馳走になり、おいしくて有名なたこ焼きも食べた。
翌日は、大阪ダイジェスト観光で、通天閣の近くで、どて焼きに感動し、大阪城を見て、道頓堀に。あのでっかいグリコの看板とかに道楽の看板に感動し、もう死んでも悔いないなぁと思う。
行く前の日、さんざん喧嘩して旦那を呪い殺してやると思ったくらいだったけど、結局旦那も私も充分楽しんだ。旦那に感謝。
「お金出してくれてありがとう。」
2003年03月18日
私の居場所
2週間のバケーションからやっと戻って来た。家に入ると、掃除の途中で駅に迎えに来たらしく、掃除機も出しっぱなし。でも、旦那の精一杯の努力が伝わってきた。
冷蔵庫を開けると、2週間前に私が半分食べたケーキとか牛乳とかがそのままで、なにも増えず、減っていない。まるで時が止まったかのよう。取り入れた洗濯物も、2週間前に私が干してから出掛けたものだし。。。
多分、旦那は独りになったらこんな生活を一生続けるんだなぁと思ったら、なんだかおかしいけど、その反面ものすごく寂しかった。
冷め切った部屋に子供達の声が響いて段々空虚だった部屋も元の温もりを取り戻してきた。
さぁ今日は、旦那の好きな大根と鶏肉の煮物でも作ろうかな。
2003年03月05日
会社訪問
仙台は雪である。トンネル抜けなくても雪。
今日、久しぶりに6年前に働いていた会社に遊びに行った。みんな、老いてはいるものの変わりなく出迎えてくれて、なんだか安心した。
東京の前いた会社なんて、知っている人が2人くらいしかいなくなったのに、仙台の会社は知らない人の方が少ないくらい、みんな昔のままであった。
初めて就職したのが仙台のその会社だった。環境アセスメントの会社で、人数が4人しかおらず、しかも2人は65歳と68歳のじいちゃんで、女は私一人。私の上司というか同僚は44歳の働き盛りで、今考えると、彼が一番大変だったのかな。
そこの会社で、私はいろいろなことを覚えた。経理、総務、測量、トレース、CAD,パソコン、8tトラックの運転、野鳥の観測、植物の名前などなど。パソコンなんて、そのころ「ソフト」というのがあるなんてわからなかったから、エクセルと一太郎だけで、測量してきたものを計算したり、絵を描き、給料計算したりとなんでもやったおかげで、今はエクセルの神様になった。(自称)
そこの会社のビルにはグループ会社が5社くらい入っていて、女の人の更衣室は共同で、みんなそこで制服に着替えるんだけど、私の場合、現場にも行っていたので、作業着の時もある。ある日、作業着で入っていったら、「キャー」と叫ばれてしまった。男の人が入ってきたと思われたらしい。
それで、私はその人に弁解した。
「私、OLじゃなくてGLだからごめんなさいね。」
「GLってなに?」
「現場レディ」
2003年03月03日
けえったぞ
昨日、新幹線にのって仙台にやってきた。駅のホームではじじとばばがお出迎え。
最後の5分間だけ泣いていたエリンもVIP扱いに何事かとびっくりした様子。
実家は、おそろしく広い。8LDKもある。なので、移動が大変で、エリンたちが泣いていても聞こえないときがある。今朝、掃除をしたけど、なかなか終わらない。本当に無駄に広い。
ぴーちゃん(ばんちゃん)も元気で、昨日、毛の暖かい下着を買ってあげたら、「こんなものいらねぇ」といわれ、でも、こっそり部屋に置いてきたら、今朝それを着ていた。
今日のところはこの辺で。ネット環境がすこぶるわるい。いまだにダイアルアップに288のモデム。死にそうである。
2003年03月01日
ずんちゃん
最近、よく夢に現れる人がいる。それは、10年前に亡くなった私の祖父、通称ずんちゃんである。
彼は、とっても物静かな人で、宮城県と岩手県の県境にある石越町という信号機が2つしかないところに住み、いつもニコニコして、映りの悪い家具調テレビを見ながら、「わかば」を吸っていた。そんなずんちゃんとあまり話をしたことがなかった。ボケるまでは。
ずんちゃんは一度、脳梗塞をおこし、左半身不随になって寝たきりになったので、うちに連れてきて介護することになった。でも、母の病院の先生(母は看護婦である)が、新薬を勧めてくれ、いわば実験という形でその薬を投与した結果、彼は杖をついてではあるが歩けるようになり、また石越へと帰っていった。
でも、その頃からなんだかおかしな行動をとるようになっていった。
ある日、おばぁちゃん(通称ばんちゃん)から電話で、ずんちゃんが家に火をつけようとしたという。
母がずんちゃんに理由を聞くと、
「がさまのやつ、俺が寝てる間、区長と茶の間で話ししてっかと思っだら、ケツまくってたから、頭さきて」(※ばんちゃんのことをずんちゃんはがさまと呼び、区長とはそこの部落の世話人の人)
と。よく考えればそんなことあるはずがない笑い話なのだが、彼は、妙に嫉妬深くなり、色々と妄想してしまったらしい。
仕方なく、またうちで引き取る事にし、ばんちゃんは、ずんちゃんがおっかないと言って、一緒に来なかった。
来た日から、ばんちゃんに対する想いは募り、ばんちゃんに会わせろと夜、暴れ出すようになってしまった。昼間は、杖をついて歩くのがやっとなのに、夜になるとタンスを倒し、ドアを蹴るしまつ。
娘の母がくるともっと興奮するので、孫の私と姉が行くと段々とおとなしくなって、添い寝してやると、彼は何事もなかったかのように寝た。ずんちゃんより先に眠ってしまった姉に、ずんちゃんは自分の毛布を掛けてあげたりするので、本当にボケているのかまともなのかわからない。
ずんちゃんと生活するようになって、夜12時頃に、私はそろそろ寝ようかと思っていたら、ずんちゃんがトイレに起きてきて、
「なんだ、おめぇ早起きだな」
と言われ、寝るに寝れなくなったり、朝にずんちゃんの着替えを手伝っていたら、「おめぇがつっちゃい(小さい)とき、俺が着替えさせてやったんだから、今は俺に着せろな。」と恩着せがましく言われたりと、エピソードはたくさんある。
ボケたとは言え、楽しいずんちゃんだったけど、母は、毎晩夜中に暴れるので、家族に迷惑だと感じ、彼を入院させることにした。
その病院は、老人の精神科があり、お見舞いに行くには、色々なドアをくぐり抜けないと病室には行けない。徘徊防止の為である。
プライドの高いずんちゃんには、足の骨が折れているという理由で入院することになったと言ってあった。なので、お見舞いに行くと、小さな声で、「俺のな、向かいのやつな、頭おかしいんだぞ」とそっと教えてくれるのだが、心の中で「お前もだ!」とつっこみを入れつつ、「そうなんだ」と始めて知った振りをした。
そこに入院している人たちは、こんなことを言ったら失礼だが、みんな面白い。トイレのトイレットペーパーを全部取ってきて、みんなに配ってあるくおばあちゃんや、何もないのにいつも架空の「何か」を食べているおじいちゃん、食事の時に、自分と同じテーブルの人の食事が運ばれてくる度に立ち上がり「あらま〜本当にありがとうございます」と何度もお辞儀をするおばあちゃん。
その病院は、いわば現代のババ捨て山のようなところだったので、面会に来る人も数少ない。
でも、私の通っていた短大から近いこともあり、毎日のように顔を見せに行って、ずんちゃんから色々と昔の話を聞くことができた。
戦争で朝鮮半島に行ったこと、戦争が終わって汽車で帰ってくると、ばんちゃんに手を引かれた幼い母が手を振って「とうちゃん、お帰り」と言ったこと、チリ津波の時、海の近くに住んでいて、津波が襲ってきて山に逃げた事などなど。
あと、ずんちゃんは、本当にばんちゃんが大好きだったらしく、ばんちゃんに会ったらどうする?と聞くと、「ばんちゃんのちっちこ(おっぱい)さわって寝てみたい」と色ジジイに変身し、どうしても会いたいと「好きで一緒になったのにぃ」と泣き出す始末。
でも、ばんちゃんはその頃、肺炎で別の病院に入院していたので、会わせられなかった。その事を伝えても、「あの区長と一緒にいるんだ」と嫉妬していた。
ずんちゃんは、私と姉だけにこっそり
「俺が死んだらな、区長の所に化けて出て、呪い殺してやる」
と言った。その数ヶ月後、ずんちゃんは脳梗塞で亡くなってしまった。
それから何ヶ月かして、風のうわさで区長さんがボケたと聞いた。姉と私は顔を見合わせて、「ずんちゃん、やったな」と、思わず笑ってしまった。