2002年10月28日
カリンの出産
待ちに待った出産の時がやってきた。今回の妊婦生活は、結構ハードだったので、どんな子供がでてくるのか、楽しみでもあった。どんだけハードだったかというと、妊娠4ヶ月の時に香港へ旅行へ行き、5ヶ月の時には、八王子城跡に山登りに行き、6ヶ月の時に信州へ蛍を見に行って、7ヶ月でマレーシアに里帰り、9ヶ月になってからも箱根の温泉にいったり、バーベキューに行って、火をおこしたりしていた。
10月に入り、予定日は25日だったので、連休もどこかへいこうか、なぁんて話していた。連休の前日、超音波の精密検査があり、もう、2600gあるから、産んじゃいましょうかってな話になった。でも、先生は、この連休は忙しいから、連休明けの火曜日にしてくれないかという。言っておくが、ここは自然分娩をモットーにしている病院で、決して帝王切開はしない。でも、そんなスケジュールを埋めるように、出産もこの日と決められるのか不安だった。
火曜日は、旦那が都合が悪いので、金曜日にしてくれないかとお願いした。そしたら、それじゃあ、金曜日の朝8時に入院しなさいといわれ、家に帰された。
じゃあ、金曜日に産みますって言われても。。。ここは、陣痛促進剤とかはよっぽどのことがない限りは使わない。どうやって?と思いつつ、木曜日の夜を迎えた。寝る前に、ラマーズ法の呼吸方法を予習し、この日は、早めに床についた。随分寝たなぁと思って、目覚めたら、まだ朝の5時だった。それから、目がさえてしまったので、とりあえず、お風呂にゆっくり入って気持ちを落ち着かせた。
早めの朝食をとり、雨だったので、近くだけどタクシーを呼んだ。実家からエリンの面倒を見てもらうために、父が来ていたので、みんなで一度病院へむかった。
病院に着き、すぐに先生の診察があった。先生は、棒のようなもので子宮の入り口を広げたらしい。その後、個室の病室に通され、一通り入院の説明を聞くと、まだ産まれそうもないので、父とエリンは家に帰ることにし、旦那は病院のベットで寝ることにした。
私は、早速出産用の服に着替え、荷物を整理し、また呼吸法の書いた本を見ていた。10時過ぎに、なんだかお腹が張ってきた。いよいよ、陣痛がきた。15分おきにお腹が痛くなる。でも、まだ平気なので、旦那と冗談を言い合って笑ったりしていたが、11時を回ったころから。3分おきに陣痛がきて、ナースコールを押した。看護婦さんは、とりあえず先生に見てもらうから下におりてきてというので、陣痛と陣痛の間は、痛くないので、まるでだるまさんころんだをしているように、歩いては立ち止まり、また歩いてを繰り返し、なんとか診察室にたどり着いた。
先生は、羊膜をはさみで切り、はい、病室で待っていなさいと言う。まだ、産んじゃいけないの?と思いつつ、また、だるまさんころんだ状態で病室まで歩いた。
部屋に着くと、お昼ご飯が運ばれてきていた、旦那は食べたそうに私の顔色をうかがっている。でも、私もこれから何時間陣痛と戦うか解らないので、食べられるだけ食べた。でも、半分以上は旦那の腹の中に収まったけど。
そうこうしているうちに、本当に笑っていられないほど痛くなってきた。痛さで全身が震える。でも、痛いからと歯を食いしばってはいけない。ここで、登場するのが有名なヒ・ヒ・フーの呼吸法なのだ。痛さをこらえ、旦那の手を握りしめる。多分、この時、すごい力で旦那の手を握っていたので、旦那も痛かったかもしれないけど、そんなことはかまってられない。
震える手で、ナースコールを押し、何とか状況を伝えると分娩室に呼ばれた。またまた、だるまさんころんだ(今度は頻繁に立ち止まるバージョン)で分娩室まで歩いてたら、途中で看護婦さんが迎えに出ていた。
そこで、いったん旦那は外で待機させられ、私は分娩台にあがった。酸素マスクを付けられて、しばらく横向きに寝てもう少し我慢してと言われ、必死に痛さに耐えていた。すると、うすいカーテン(といっても移動可能な保健室にあるようなキャスターがついたやつ)の両隣から、同じように痛みに耐えている声が聞こえてきた。そうか、今日はお産する人が3人もいるんだ。と考えている間もなく、痛みが襲ってきて、3人揃って、恥も外聞もなく、意味不明なうめき声を上げていた。
陣痛というのは、おかしなもので、陣痛と陣痛の間は、今までの痛みがどこかへ飛んでいってしまったかのように、全く痛くないのである。そのわずかな間に、睡魔が襲ってくるのである。意識朦朧とするなか、私が見た夢は、夕飯にシュウマイを食べたからお腹が痛くなったといった変な内容のものだった。そしてまた、陣痛が襲ってきて、思わず、「シュウマイ!」と叫んでいたけど、誰も聞いていない事を祈る。
陣痛の痛みって、どういうのかと聞かれるけど、本当に例えようがない。まあ、近いかなぁっと思うのは、電車の中など、絶対にトイレに行けない状態時に、急にもよおして、腸は押し出そうとするけど、必死に理性で押さえている状態って言ったらわかるかな?ふんばってしまえば、楽だけど、ふんばれないのでその力をあさっての方向にやるのは、なかなか容易ではない。
横向きに寝て、両手を組み、まるでイエス様に懺悔するような格好で、何度も襲ってくる陣痛と睡魔と戦っていた。でも、どうしても我慢できなくなり、「せんせ〜〜〜い〜〜、かんごふさ〜〜〜ん」と叫び、助産婦さんがかけつけると、もうすぐ産まれるという。頭の上の方では、「旦那さん呼んできて」という声と、足の方では、「さぁ、一気に陣痛にあわせていきんでいきますよぉ」という助産婦さんの声。
産む体制に入って、内蔵全部押し出す感じで、何度もいきむが、なかなか赤ちゃんが出てこない。赤ちゃんはどこかでつっかえているらしい。頭の中では、もう2度と産むもんかと思いながら、全身の力を下腹部に集中した。
「もう、いきまないでください」と、言われてすぐ、赤ちゃんが出たのを感じた。ホッとしていると、頭の上には旦那が来ていて、先生とデジカメをめぐって喧嘩をしていた。
先生「デジカメはだめだよ。フラッシュあるでしょう。」
旦那「フラッシュない、フラッシュない」
先生「じゃあ、いいから座って座って。立ち会い初めて?」
旦那「2回目です!(怒った口調)」
旦那は、今度ビデオを撮りだしたらしく、また先生に怒られていた。
そうこうしていると、産声が聞こえた。「1時27分、2600gです」という助産婦さんの声。先に、お父さんに抱っこしてもらい、すぐに私の胸の上に置かれた。
初めて対面する我が子は、なんだか人間というよりも、なんだか新種の生き物みたいな感じで、手足は細く、顔もしわくちゃで可愛いとは言えないけど、心のどこかで、「守ってあげなくちゃ」と思った。手足の指を数える。上の子の時もそうしたけど、親として五体満足に産んでやることが最大の勤めなので、多くても少なくてもいけない。全身のチェックが終わり、ホッとすると、急に眠気が襲ってきた。
先生は、赤ちゃんを胸の上から脇腹にある特製ベットへと移した。すると、自分でおっぱいを探し、吸おうとする。小さな口を大きく開けて、一生懸命おっぱいを吸っていた。ここの病院では、産んでから4時間は分娩台の上で赤ちゃんと一緒に過ごす。その間、赤ちゃんにできるだけ声をかけてくださいと先生に言われたが、意識朦朧としてきて、寝てしまった。気が付くと、赤ちゃんはベットから半分落ちそうになっていて焦った。
赤ちゃんを、ちゃんとベットに戻し、さぁ、これから静かで幸せな時間を共に。。。と思っていたのはつかの間、両隣からまた、うめき声と悲鳴が聞こえてきた。そうか、まだ、彼女達は戦っていたのだ。自分が、冷静になってみて初めて気が付いたのだが、彼女達の声は大音響で、しかも両方からステレオ状態で聞こえてくる。こんなにうるさくて、赤ちゃんは大丈夫だろうかと思っていると、横ですやすやと寝ていた。
でも、時々、2人とも叫ぶ声が途絶えたとき、急に赤ちゃんが泣き出した。そうか、この子はうるさくないと安心できなくなってしまったのか。声をかけても泣きやまない。また、どちらかが叫び出すと、またすやすやと眠ってしまった。
出産して3時間が経ち、左隣の人もやっと産まれた。残すは、右隣の人だ。彼女も残されて焦っているだろう。でも、一向にお産は進まず、「いたいよ〜、いたいよ〜」と繰り返していた。
5時半になり、病室へ帰っていいことになった。ゆっくりと起きあがり赤ちゃんを抱いて、看護婦さんについて病室までいった。ここの病院は、退院するまで母子同室である。産んでから退院するまで、お母さんと赤ちゃんが一緒の時間を過ごすことによって、赤ちゃんは安心し、母親は、母親になったという体内のスイッチを入れる。
看護婦さんが病室から出ていくと、急に上の子が恋しくなった。どうしているか心配になり家に電話を入れた。夕飯を食べているというので、食べ終わったらまた、病院へ来るというので、安心して電話を切った。
しばらくして、みんな面会にやってきた。赤ちゃんは寝ていたので、上の子には赤ちゃんは見せずに、面会室に行くことにした。パパに抱っこされていたので、おいでと両手を広げ待っていたら、拒否された。えっなんで?もう、お母さんはいらないの?ちょっと、悲しくなった。帰るときも、一度も振り向きもせず帰っていった。
次の日、面会に来た旦那と父はなぜか疲れ果てた様子だった。聞くと、上の子が泣いて泣いて、全く寝てくれなかったという。そうか、彼女は幼いなりに、しばらくの間妹へ母を譲ってやろうと思ったけど、やっぱり寂しかったのかなぁ。
その日、初めて赤ちゃんと上の子を対面させた。最初、可愛い、可愛いとなでていたが、急に赤ちゃんの胸ぐらをつかんだり、顔をひっかいたりして、今までの鬱憤をはらしていた。
これから先、どうなることやら。。。もう、これ以上は増やさないようにしようと心に誓った。
2002年10月09日
男性諸君に物申す
最近、ムカツク事が多いので、思いきって文章にして書いてみる。
今、日本では少子化が進み、小児科は経営難となり閉鎖または、縮小され、救急病院では、救急の患者の半数以上が子供だっていうのに、小児科の先生が不在だという。
それでは、救急の意味がないではないか。
政府の少子化対策委員会は、全く無駄&無意味な案ばかりを論議しているので、この場で言ってやりたい。
今の日本の社会条件で、少子化は必然的である。何故だかわからない人の為に教えてあげよう。
第一に、結婚したいと思う女の人が少なくなった。私のまわりには、独身の女の人が多いが、別に彼女達に問題があるわけではなく、わざと結婚しないようにしている感じがある。
結婚したら、そうそう簡単に海外旅行できなくなるし、大好きな買い物だって制限される。朝までお酒を飲めなくなるし、結婚なんて良くないことばかり。と考えているようである。
でも、子供は好きだけど、自分で産めないので甥や姪を溺愛し、動物園に連れて行ったり、服やおもちゃを買ってあげて、それで満足しているケースが多いようだ。
第二に、婚期が年々上がるに連れて、女性特有の病気が多発し、子宮内膜症や子宮筋腫などの病気は、ほっておくと不妊症になってしまう。
そもそも女性は、生物学上16歳くらいで子供を産むのが理想とされていて、歳が増すに連れ、子宮の機能も低下し、36歳を超えると「高齢出産」と言われ、それだけ危険も多い。
今の世の中、16で妊娠したら、真っ先に中絶するっつうの。中絶といえば、最近、簡単に中絶手術をする人が多いのに驚かされた。
今、通っている産婦人科では、毎週のように中絶する人がいて、その手続も簡単。
超音波室にはベットが2つあって、先生の仕事の効率を上げるため、二人同時に診察するのだが、何度か一緒に診察を受けた人が、妊娠と聞いて即座に、
「産めないんですけどぉ」
って答え、先生も、
「じゃあ、今週の木曜日の朝、ご飯食べないで8時に来なさい。費用は7万円ね。あとで同意書渡すから、署名してハンコついてもってきなさい。お昼には帰れるから。」
ってな感じで、感情が全くない。次ぎに診察を受けるに私に向かって、
「はい、順調ですね。ここが、頭でこれが足。心臓も元気に動いてるよ。」
っていうから、先生もわけわからない。
話を本題に戻して、
第三に、女性が社会に進出してきたは良いが、会社の労働条件などが、男社会だった時のままで、結婚して子どもを育てながら、働くことができるようになっていないのが現状。
いくら産休、育児休暇を政府が認めたって、実際に一緒に働いている人の意識が、「子供がいると、仕事に支障をきたす」と思っていれば、ある程度上のポストにいる女の人はそうそう簡単に妊娠なんてできない。妊娠した時点で、引け目を感じ辞めてしまうのが落ちだ。産休あけだって、堂々と復帰することもできない。
先日、某大会社の人事部の部長さんと話す機会があった。その人も、もうすぐ4歳になる子供がいるにもかかわらず、全く子育ての事がわかっていない。
なので、産休あけの社員に対し、「子供がいるというのに甘えて、そうそう簡単に有給を取って欲しくないなぁ。」と、思っているくらいである。
それから、子供連れには、ナイトライフやおしゃれな生活が許されない。自由が丘のレストランでは、ペット可なのに、小学3年生以下のお子様連れのご来店はご遠慮されるし(丁寧な断り方だけど、はっきり言って差別だ!)、他の店でも子供を連れて行くと、いやな顔をされ、「お前らはファミレスにでも行け!」というような目線で見られる。
また、子育ては女の人の仕事と勝手に世間が決めつけ、時々、お父さん一人で子供をだっこして買い物している姿は、どこか「可哀相」な雰囲気をかもし出す。
はっきり言って、少子化の原因は男の人にある。男の人は勝手だ。全員がそうでないかもしれないけど、でも、殆どの男の人に対して言ってやりたい文句がある。
*****ここから少々言葉が荒くなりますがご容赦ください。*****
お前らなぁ、自分が仕事してお金を稼いでくるからって、大きな顔するんじゃねぇよ。何がそんなに偉いんだ?まずなぁ、結婚してお前ら何を努力して、何が妻の為にしてあげられるようになった?
嫁さんになる女の人はなぁ、今まで、家事をやった事がなくても、毎日、おいしいご飯を食べさせてやろうと、頑張って料理を勉強し、掃除も洗濯もアイロンがけだってやるようになるんだよ。
それは、専業主婦に限らず、共働きの場合だってそうだ。でも、料理がまずいだの、アイロンかけたワイシャツにしわがあった、だの文句ばっかり言うんじゃねぇよ。
そんでもって、俺の子供を産んでくれだと?お前は、子供が一人増えたからって、自分の小遣いが減るくらいで、会社の仕事の内容が変わるのか?
「はい、あなたは子供さん2人なので、今までやっていた仕事の他に、経理と総務の仕事と、夜は道路工事をやってから帰ってください。」ってなんのかよ!
女の人はなぁ、今までやっていた仕事に『子育て』っていう仕事がプラスされてなぁ、妊娠した時点から、もう『子育て』が始まってんだよ。
お腹が大きくなるに連れて、出歩くのも大変になるし、行動範囲も制限される。
大好きなお酒も飲めなくなるし、仕事だって具合が悪かったらできなくなるんだよ。
出産の時なんて、命をかけてるんだ。お産で死んだ人だっているんだぞ!今まで体験したことのない痛さと戦い、やっと無事産まれたと思ったら、2時間おきの授乳で、疲れたからって休ませてもらえないんだよ。
それが、なんだ
「俺は明日仕事があるんだ、夜泣きがうるさいから、部屋を別にして、夜起こさないでくれないか?」だって?ふざけるんじゃねぇよ。
お前は、電車の中や休日に寝られるけどなぁ、女の人は、自分が寝たい時に、自由に寝られないんだよ!そんな事してたら、子供が死んでしまうべや!
奥さんが大変だってわかっていながら、いつも通り飯をつくれ、洗濯しろ、掃除しろだと?お前がやれよ。なんでやらねぇんだよ。
「最近、会社が大変で、仕事の量が増えたから疲れるんだよね。」
だとぉ。
お前なぁ、どんなに働いたって、お前の給料の相場は決まってるんだ。毎月2回、家族を豪華温泉旅行か海外旅行に連れて行かせる金がないんだったら、お前の仕事なんて、子育てにはとうていかなわないんだよ!
家を買っても35年ローンだろう?なんだそれ、定年過ぎても働かないと、家は自分のものになんねぇのかよ。じゃあ、奥さんも働かないと食って行けないっていうのか?
働かないんだったら、節約しろだと?月の食費は3万円にしろ?洋服は3千円以下だって?
どうやって、結婚前に買ったプラダのバック持って、ペナペナの安物の服着て外歩けって言うんだよ!似合わないじぇねぇか。外食は、近所の来々軒のラーメン半チャーハンセット、580円?
なんで、7万円のバック持って、580円の定食食わなくちゃいけないんだ!
ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ。。。。。。。。。。
***ここで、怒りが終わります。ご辛抱ありがとうございました。***
以上こことを踏まえて、少子化対策には、まず、男性の脳の構造改革が必要に思われます。これは、そうとうな「痛み」を伴うかもしれませんが、そうでもしないと、この国はジジババ天国になってしまいます。