443 – 空の時間

出張が多くなると自然と空の旅も増える。

最近気になっていることは、飛行機に乗っている際にふくらはぎは疲れがたまる。乗る前に糖分を摂取しないほうがいいと言われて飛行機に乗ったらすぐ寝るようにすることにした。少し効果が見える。細かいところを省くが、要は消化に関わるのだろう。

空にいると、厳密にいうと飛行機に乗っていると、どうしても時間の使い方が気になる。たっぷり余った時間をどうにか有効に使いたい。だが、(格安航空はそんなサービスを提供しないが)殆どは映画を観たり音楽を聴いたりして寝るしかしていない。

昔は大量の書籍を運んだりしたこともあったものの、ページをめくる前に本を出しさえしないのだから、諦めた。

役に立つことがしたい。

それが本音だと分かったのばもう少し会社を興してからだった。なにが役に立つか。自分の勉学に励むのは当たり前だけど、飛行機に乗っていないと勉学しないなら地上にいても勉学しないに決まっている。結局は考えることにした。

そう、思考すること。

静かな時間なので、邪魔されずにまとまって思考できる。これはすごく幸せな時間だし、大好きなのだ。やりたいこと、未完なるもの、整理すべきアイデア。いろんな整理整頓ができる。

地上にできないかというとそうでもないけど。中断されるインターネットがないことはおそらく一番の原因かもしれない。

夢想することは実現したいものだ。特に夜の時間帯に着陸すると光に満ちたオレンジ色の夜景は現実に連れ戻された感触もなかなか素敵だと思っている。

旅ガラスはきっと私と同じで色んなことを考えているに違いない。

via PressSync

359 – 喜怒哀楽のコスト

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日々仕事なり付き合いなり全ての感情を動かされるものだ。

嬉しい時も哀しい時もすごくエネルギーを使う。嬉しいはずなのに、すごく疲労困憊だってことも少なくない。

かといって感情を駆使せずにできるかというと、問屋が卸さないに相場が決まっている。トホホなのだ。

でも、何かを行なうという意味では全てコストがかかっている。その代価をどう換算するかなのだ。

ハッピーな状態は興奮剤を注射されたようなもので、その時には疲労を感じない場合が多い。精神的代価をもらっているからなのかもしれない。

しかし、哀しみを覚えた時点で喪失感に大いに覆われていて、その損失は大きいだけにすぐに埋められない欠落感として疲労困憊なのではないかと思う。

そう考えると、感情のバランスシートに帳簿を付けておくと、得意不得意がハッキリと分かってそれだけで損失も小さく抑えられそうな気がしてくる。

計算尽くという言葉は否定系で使われる場合が多いが、そんなことはないじゃないかと。買い物感覚で誰も損ばかりでものを買いやしないのと同じだ。

損とばかり思うと、哀しくなる。ますます負債が増える一方でさらに大号泣したら、精神的にスッキリするが、破産宣言みたいで若い時はともかく、今になっては自分のことを大バカとしか思えない。

アイソウ良く生きていきましょう。

335 – 滑り止め

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滑り止めという言葉を覚えたのは、大学受験だった。

ハッキリと覚えているのだ。聞いた瞬間、自分の知っている何語にも訳せなかった。意味合いというより、なんというイキカタなのだ。そう思った。

なんでそこに安全具を付けておくの?とことんと落ち込んだらイケナイの?最初から真剣勝負のつもりなんてないその発想は、ニホンジンにガッカリした。

とにかく安全コースな人生を歩もうという姿勢がきっと日本社会に対しての一番ガックリと来たのだったろう。当時1990年代の日本は、失われる10年と言われる前のバブル後だった。

今は滑り止めという言葉も発想もあまり通用しなくなった。「みんなと一緒に!」という生き方は、時代に付いて行けなくなったのだろう。それぞれ違うベクターで前に進まなくては、明るい未来はない。

334 – 一番守りたいものはなんですか

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派遣会社で営業を務めていた時によく登録スタッフに自分のやりたいことをハッキリと明確化したほうが仕事を決めやすい。

そう伝えるように教育するし、事実はそうだったのだから、異議はない。

しかしだ。世の中ハッキリとやりたいことがある人って何人くらい言えているのだろう。上目線でスタッフにそう伝えるけれど、自分のことを棚に上げていたのは言うまでもなかった。

やりたいことを考えていないと口にするのはとても簡単。しかし、人生やりたいことがない人間のほうがおそらく多数派だろう。そうだとしたら、どうやって考えさせることができるのかがミソだと思うけど。

人生には色々と守りたいものとか捨てたいものあるいは捨てきれないものなどがたくさんあってややこしい。常識から破るには、それこそ一大仕事。

人間は積み重ねてきたものを切り捨てるのに、ものすごく大変なのだ。保証のない未来のために、変化していかなくてはならない理由はひとつもない。とみんな思っている。今から古いものを捨てろというのはそうそう理解できるものじゃない。

変化は常に外にあって自分にはまだ被害が及ばない。それが一般人の感覚なのではないだろうか。地震や事故とかもそうだが、火事でさえも隣は家が焼かれてもきっと危なかった!と口にするけれど、危ないなんてまったく思っていないのと同じ。

やりたいことはなんですか、という質問に根底に紐付けているのは、おそらくリスク管理。そこを理解できると、変えざるを得ないと思うかもしれない。

やりたくないことを避けて平穏無事に生きていりゃいいのよと、決まり文句のようにみんな言うに違いない。

だが、我が世誰ぞ常ならむ。悲しいカナ、それが我々のサダメなのだ。それに備えるためになにを一番やりたいのかなのだ。

332 – セカンドチャンス

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セカンドチャンスはどういう意味だろう。初めて問うてみた。

何に対してチャンスと呼ぶのだろう。どうしてセカンドに重きを置くのだろう。

ラストチャンスには緊迫感があって、セカンドチャンスを聞いてどう思われるのだろうか。

宗教的には、回心して救われる機会のことをそう呼んでいるらしい。おそらく1回めの敗北や失敗などがあってこそのことなのだろう。

なぜ疑問に思ったのかというと、なんでセカンドチャンスが欲しいんだろうと。なんでセカンドチャンスが必要なのだろうと。ある約束に対して果たせなかった時に、再度やり直しを求めたいからなのだろう。

と考えると、とても前向きなイキカタなのかもしれない。希望に満ちているとでも思える。

と改めてそう考えると、全てのことにセカンドチャンスがあると思うと、人間もう少し頑張れるのかもしれない。失敗などした時に限って、だけど。

331 – 働き方とか生き方とか

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生来、リーマンはどうしても自分の働き方ではないと体全体的に拒否してきた。

なのに、結局世間を気にして自分の思った「ちがうよね?」を信じずにやはり合わないのだなあと後悔することもある。

若い時に感じた「これおかしいじゃないの?」の感覚は、時々よみがえる。「あの頃は良かった」ではなく、自分の感じていることを信じないで世間のことを気にして妥協していたりすると、やはりろくなことはないのだ。

とは言いながら、生きるのってそういった選択肢の迷いとの戦いが毎日の課題なので、不安は消えたりしない。

自分の生き方なので、勝手にしやがれではあるのだが、常に楽しくできるのにどうしたら良いのかは考えものだ。

しかしだ。

身体は最終的にやはりいちばん良い選択肢を選ばせてくれる。身体は「私のすべてを知っている」のだから。

研ぎ澄まされた感性で世界を見つめていたい。

そんなことを考える雨の日だった。