050 – 子どもが寝ている間の時間

昨夜は居酒屋に行った。

マレーシア人のカップルと、もう一人の韓国人だったが、両方とも日本の訪問は初めてだった。

日本が長すぎてなにもかも日本を代表してしまった感があった私に対して、向こうの3人は色んな日本に対する思い込みや誤解などを持っていて発見できたことでとても面白かった。

日本の外側で持っている日本の誤解は国が違うのに同じパターンであることに日本側の私たちには知っておくべき事実だ。そこには説明していないこっち側の怠慢ということに関連している。

例えばAV。それは全ての日本人、あるいは日本男児の性癖の平均値と思われている。完全にエンターテイメントの世界でかれらはそれにハマっているのに気付いていないのは、なんか可笑しかった。面白いだろうねえ。

そこからうちは布団で寝ている話なのに、子どもたちはどうやって気付かないのかとか他人のヤバイ事情まで根掘り葉掘り状態。

ベッドと部屋別々の文化はどうしても自分のプライバシーを守っている間に他人のことを無知になりがち。でも親近感が湧いてくると、無知の部分を知りたくなる。

島国に長居しすぎた者として外の世界は新鮮に思えた夜だった。

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049 – 道極めの時間

人と会うのは好きだ。

相手の話を聞いていると、生きている感じがする。どういうふうに色んな経験をして今日の今日までに目の前にいるのか傾聴しながら想像力をかき立てるのは、きっと私に刺激を与えているからだと思う。

色んな人がいて色んな物語がある。それぞれは真偽があっても私にはすでに完成している物語として受け止めている。

そのなかにはどうしても未完成のままでしか受け止められないものもある。どうしてこういう結果になったのかという部分が理解できないという類だ。

不可思議という一言で片付けることもできるのだが、そこには私の想像力を超えた理解力を要する。この場合の理解力とは相手の心をどれくらい想像できるのかだと思う。

人と会えば会うほど私という人間が分からなくなる。でもその謎解きがきっと生き方のひとつなのではないかと。

全ての道には未知に満ちている。

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048 – 感動の時間

今のマンションに住んでからはだいぶ時間が経った。

バカと同じで高いところが好きなのだが、しかしさいくんは嫌で、消防車がハシゴで登ってくれる限界の階に住んでいる。

この周辺は高い建物が殆どなく、10F以上に上がると、周りを俯瞰すると面白い景色が見える。

ある夕方、お訪ねに来た友人たちが帰る前に最上階に登ってみた。そして遠くに富士山が見えて感動しそうになった。

心があたかも宝物を見つけたかのような小さい喜びに満ちた一晩だった。

バカでも良い、やはり高嶺を目指して住みたい。そう思った。

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047 – 通勤電車の時間

久しぶりに通勤電車に乗った。

毎日6時前に自転車で出掛けるのに比べ、8時台はなんだこの暖かさというくらい早朝未明の時間はじつに寒かったのだ。あるいはスーツは高かったんだものとも言える。嘘

朝のこの狭い空間での臭い。キムチ、タバコ、味噌汁の吐息、二日酔い、寝不足、外の晴れやかさと不釣り合いのロック(耳から洩らすのがイケナイ)、イビキ等々。全ては生活するためと思うと、混沌としている世の中私だけスマシタ顔で生きているのが一番この場所にそぐわない存在なのかもしれない。

電車はそれぞれの駅に向かい、否応なしに目的地に人々を運びそしておろして行く。真面目に。

私は相変わらずみんなのように没頭できずスマシタ顔で人間観察を続けていた。帰りの電車でも。

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046 – 会話の時間

子どもとの会話は気づいたことは多々ある。

リーマンのころは、よく子どもの言っていることがわからないと思っていた気がする。でも、今は傾けて耳を澄ましている自分に少し驚きに近い思いがした。人間はちゃんと向き合っていれば通じないことはないのだと思った。

逆にたまにお客さんのおっしゃることが通じない時がある。なんなのかを考えた。これまでの八方美人的営業は無理があることに気づいた。

これからはちゃんと話しあって、合えばお仕事をする。なければ無理しないことにする。

というわけで、明日から忙しいのに3件もの問い合わせが来たけれど、気持ちを整理すれば気が楽になる。

We need to talkだね。

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045 – ネタ探しの時間

毎日食べ物の写真を撮るように意識している。

だが、 日々に食べ物と欠かさずに関わっているのだから、なにかしらあると思ったら甘かった。ない時はない。ないのだ。

日本語の時間シリーズを始めてからも、ウェブサイトに写真を載せたくて食べ物以外の写真も撮るようにしている。実際写真ありきで文章を書いている訳ではなく書きたい文章があって写真を探す場合のほうが多いはずだ。

今日みたいな、抽象的な話の場合、毎回コーヒーコップというわけにはいかないだろう。

思わず悩んでいるネタを振ってみてしまった。そもそも最初の計画通り、身辺のことを書けばすむはずなのに。

自分で広げた風呂敷を首吊りの輪になっているように思った。

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044 – ビールの時間

中目黒の商店街でとあるレストランに入った。

日本ではもう地域を超えて食の領域で道を極めている方々がいらっしゃる。西洋料理だろうと中華だろうと。勝手に自分の好き勝手に変えてしまうというのではなく、それぞれオリジナルにある醍醐味を残しながら春夏秋冬に合った食材を活かしているものが少なくない。

お金の視点から考えると、基本的にはここまでは来ない。レストランをやりたいと言った私に、コックさんを雇えばいいじゃんというのがマレーシアの周りの反応だった。最初にこだわっているものは人が去っていくたびにすぐにポリシーを変えていかなくては対応できない恐れは最初からアウト・オブ・眼中。経営者という観点ならいいものの、美味しい料理を提供したいという職人さんのこだわりだったら、追求する道を極めていくのが筋だろう。

食の奥深さを改めて感動の溝に巻き込まれていく。

宵がまだ浅い夕方のハッピーアワーなので、軽く一杯のつもりが思わぬ展開に導かれていった。深い深い食についての道。

食べ物はそう来なくちゃ。

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043 – 買い出しの時間

八百屋に行くのはとても楽しみにする時がある。

どういう食材があって今日はなにが安いのか行くまでは未知数というのは、なんというゲーム性の高い日常だろう! だが、楽しみにしているのはそれではない。

店にはとてもハキハキしているおばさんがいる。彼女がいると、お客さんは店まるごとを買って帰るのではないかと思われるくらい、うまい薦め方をする。

決してイヤらしいマーケティング戦略ではなく、ごく自然にとても生活感覚にぴったりフィットした感じで。

いつもと会うと、食材より私は彼女の薦めてくれるレシピがうれしい。簡単で実にすぐできそうなそれらのレシピはたとえ実際作らなくても野菜を買って作ってみたいものはいっぱいあるほどだ。お店の経営者の奥さんと思ったら、ただのアルバイトというので、プロフェッショナルたるバアバイズム(!)が脱帽。

「にいさん、携帯もってんの?」

そう聞かれてはいと答えたら、いつの間にか私はメルマガ会員になった。そんなにミーハーではないものの、なぜか彼女の喋り方などにハマっていくのだ。

募集を始めたばかりの時に200人くらい集めたらしいが、1週間くらいで倍以上にのぼったというから、あのパワーとマーケティング戦略はますます尊敬してしまう。

先週くらいからセロリにハマっている私。1月〜3月はセロリの美味しい時期らしい。今度会ったら聞いてみたいと思う。

「セロリの美味しいレシピ、もってんの?」

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042 – シンデレラの時間

大阪の知人が上京している。

やっとほかの仕事を終えて彼のお客様の会社で合流したら、すでに10時すぎで東京は不夜城。なのに、大手のお客様はこれから会議というおとぎ話。馬のように働く全員はカボチャに変身しないことを祈るのみ。

パートナーと東京駅まで歩きながら今後決めることなど少し話を進め、八重洲口の前にあるビジネスホテルにチェックイン。駅前でお別れして私は駅に向かった。ガラス製のヒールを落とさないように、終電前に電車に乗れた。

東京の夜はこれからのようだ。

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041 – お迎えの時間

しゃがんで同じ目線の高さで子どもと話するようにしたのは、ごく最近のこと。立っている時より話しかけてくれる時間もやはり長くなるようだ。

「ね〜、シオンのパパ、あのさ〜、なんとかさ〜、テレビくんのさ〜、あれあれ(私の知らないあ芸能情報とか番組とか)観た?あのなかに出ているゴリに似てるよ?うふふ」

「シオンのパパ!見てみて〜、これこれこんなに大きいんだよ〜」

人気者のように呼ばれるのは気持ち良いことだ。ゴリラに似たって良いのではないか。毎日ビックリするような驚きがあって楽しいのではないか。

あの無邪気さがたまらない。またいつまでも覚えられないことを言われたり、私の理解力でおぼつかない世界の話をしてくれるだろう。

かれらはうちの子どもとともにこれからどのような大人としてどう成長して行くのかまるでだれも分からない。

ゴリは幼稚園にお迎えに行くのがとても楽しみなのだ。

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