062 – 主観と客観の時間

ランチは前菜がとても贅沢なのに値段的に安すぎるくらいの900円だった。幸せ。

私は感情で動く人間なので、客観的に客観的にとずっと言われてきたが、最終的にそれは身体に合わない思想だと分かって諦めた。今は人を気にせずに気楽でとても健康的な毎日を送っている。ストレスなんてガイライゴ?

よく勘違いするのは、主観=思い込み。でも、それで幸せならそれはそれでいいはず。周りに迷惑を掛けていなければという条件付きだけど。

戦略を立てるとはいうものの、イクサを省く努力というわけで、平和に生きましょうというのが本来の狙いだ。

ただ、真剣に生きている行くのなら、主観でいいと思う。

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061 – 散髪の時間

親子揃って散髪してきた。

いつからか、このお気に入りの散髪屋に行くようになったのだろう。時間を掛けずに目的のカットだけ済ませるのは、頭がサッパリしたあとに、気持ちもスッキリして心身ともに良い。

QBハウスという流行りものがあったが、お金を払いに行くのにいつもクジ引きの如く、毎回切に祈るのみだ。今日も心の通じ合うヤツに当たりますようにと。

結局それは叶うことが稀で、外れクジばかりを引いていると、さすがハチロウも怒る。

同じく千円でいつも混んでいるとある散髪屋を見つけて以来、心の癒しを見付けたとはこういうことだと思った。

心底から癒やされて優しい笑顔ができるようになったら、坊主にしようかと考えている。白髪を気にせずに。

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060 – 夕食の時間

久しぶりに子どもとゆっくりと夕食をした。

蒲焼を買ってご飯に載せた鰻丼のサイドディッシュにおでんにうどんを入れたチャンポンのメインディッシュを出した。歓談しながら食べると、ご飯がススム。キムチがなくても。

子どもは集中しないのが普通だ。考えてみたら、いつから我々は「シューチュー」するようになったのだろう。それが大人と子どもの境目かもしれないが、あまりにも曖昧すぎて大人は大人になったことすら忘れていた時がある。

子どもたちと会話が出来たことは、我ながら小さな達成感を覚えた。

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059 – 旧正月の時間

今年の旧正月は2月3日だった。

大晦日に当たる日の夜に故郷の家族に電話をした。兄貴夫婦はすでに定年状態で、あっちこっちに旅行に出掛けている。学歴もなく、5人の子どもをひとり残らずに海外の大学に行かせている。いつも思うのだが、生活の豊かさは、日本ではとびきりのお金持ちでないと、豊かにならない気もする。

日本にいると、贅沢を求めない生活をしているからというせいがあるかもしれない。同じ天秤にかけて図れるものではないのは分かるけど。

その理由はほかになにがあるんだろうと疑問を持ちながらも、これと言った納得の行く回答が出て来ない。だが、きっとこの疑問を持っていることによって私を次のステップへ駆動させる原動力になるのではないかという気がしてきた。

今自分の行っている全てが急に意味のあるものとなってきた。

お正月は原点回帰のための装置に過ぎないのだ。明日はあるのさ。

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058 – 夜電車の時間

冬の夜が暖かいと感じながら、目的地に辿り着くまで電車内でブログを更新している。

今どきは元同僚のみんなは何をしているんだろう。かつてリーマン時代にあった記憶の引き出しには散らかした想い出から、なかなかキーワードの記憶が見つからずにいて漠然としている状態だった。

周りを見ていると、電車にはあいふぉん率の高さに少し驚いた思いに近い感情を覚えた。周囲は携帯をいじっている時間のほうが長い。私を含め。

そうでなければ睡眠時間とドレードしてしまうようだ。読書なんてもう時代に合わない風景なのだろうか。電子書籍なんてどこか広告か彼方にある景色なのかもしれない。

どうしても会ってお話したいと言われ、私は電車で東京駅に向かっていったのだ。

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057 – 老後の時間

近頃ゆっくりするためにマクドナルドを利用する年輩の方が増えている気がする。

バーガーなんて脂っこいし、身体に悪そうだし、人生にまったく選択肢がなかったからというのなら、仕方ないけど。どうもちがうようだ。

ほかに居場所がなくお金もあまりかからずに長居できるとしたら、やはりマクドということなのだろうか。老人に優しい町の屯所が少ない。

だが、そこには人々が安らぎを求め、辿り着いたコタエなのだという結論に達してひとりで納得。

このファーストフード店の高齢化は、どうみても環境問題に等しいほど深刻なはずだ。

同情なんかする場合ではない。山に姥を捨てるのは、きっと自然界のもっとも適したエコなのかもしれない。

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056 – 余裕綽々の時間

忙しいと、本当に心が死んでいるのだ。

昨日は異常に忙しくて来客数は通常の倍が来ていた。みんな黒酢の酢豚を注文していた。人の好みを探究するのは好きなので、考えるだけで一日足りないくらい愉しい。

余裕がない日には、なぜかすごく読書したい。だが、残念なのことに本を触れる機会はまったくない。手を伸ばして読もうとしていても長時間できない。日常生活にもう必要性のない趣味になってしまったのだ。

でも、やはり余裕綽々として生きていきたい。

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055 – チョコレートの時間

100円ショップで昔を思い出した。

バーのカウンターには小物を飾ったりしていた。ひとつには小さなガラス瓶にチョコレートが詰まっていた。食べて良いですかと尋ね、オーナーの彼女はどうぞとあっさりと返事をしてくれた。とても上品そうな瓶と一粒一粒のチョコレートがそうやって静かに店の演出に協力している。そんなところにも工夫しているのを見てオーナーに感心したのを覚えている。

あとで知ったことだけど、それは100均で手に入れたらしい。チョコレートとガラス瓶とも。安物でも上手に魔法の粉を振りかければ上品に生まれ変わることができるのだと。

その魔法使いを目の当たりにして私はちょっぴり大人に変身した気がした。

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054 – クレヨンしんちゃんの時間

子どもたちは最近クレヨンしんちゃんにハマっている。

ユーチューブで観るので、親が留守の間に時間制限ナシでいつまでも観てしまうので、大変なことになる。

色々調べてブラウザに制限をかけてみても、結局時間切れになって観られなくなれば次から次へとブラウザを変えて行き、戦略バトルになるだけでなにもならない。

諦めて一緒に観ることにした。なにが面白いのかと。

ありゃりゃ。こういう子がいたら殺しているだろうな、私なら。一々ため口にされると、たまったもんじゃない。でも子どもたちは、ニヤニヤしながら観ている。大笑いとかではない。これはどういうことだ。

とりあえず、なんか発見があったので、週末ゆっくり家族会議でもしよう。しんちゃんのなにが面白いのかと。

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053 – 中華料理の時間

中華料理屋のお客さん。

若い人よりもやはり年配層が多い気がする。安い中華料理ばかりを食べてきた人にとってはその価値がなかなか判断できないせいかもしれない。安物は人の心を豊かにしない。

うちの店にいらっしゃるお客さんは若い人少なくないけれど、どちらかというと、年輩の方も多くいつもおいしいと褒めて頂きながらよくいらっしゃるのだ。中にはカップルも多い。幸せそうに二人で来て食べて行く。そんな風景はとても美しく写る。

老後は中華料理を幸せそうに食べられる老夫婦を目指したいものだ。

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