082 – 帆立の時間

肉と魚介類と比べると、やはり前者のほうが簡単で調理法もいくらでも思い付くが、魚の捌き方や調理法はさっぱり分からないので、なかなか手が出せない。もったいない気もする。

最近スーパーで見かけた貝類は、やっと名前など親しみ深くなってきたせいか、注意するようになった。

先日買った帆立は半額で醤油でサッと炒めてそのままご飯のおかずにして直ちに平らげられた。

海の幸ってこういうことかと思った。

Image_1

081 – ガラスの時間

家にもらったりする子どもが使うプラスチックものは、基本的に捨てるようにする。

いつまでも割れない、いつまでも子ども、という教育は私には大きな疑問を持っているのと大きく関係しているかもしれない。

ものが割れたら、片付ければ済むことだが、子どもはそれがどういうことなのかいつまでも分からないというほうが困る。だから、いつかいつかと機会を伺いながら、割れるような器を大事に使ってもらっている。

大事に使うというのはあくまでも教育論であって、万が一、の確率は低いけれど、現実味の高い万が一である。

来た来たきた!春ではなく、瀬戸ものでも伊万里ものでもなく、ガラス製のボールがとうとう割ってしまった。

お父さんが現場に駆け付けていた頃は、新聞紙の敷いたビニール袋と掃除機はすでに駆け付けていた。よくやった。よくやってくれた。でも、でも、でも。大きい破片は掃除機じゃ吸い込めないから、手で手。

細かいカケラを布巾で拭き取って最後にはモップでもう一度拭いた。

これで分かってくれたらいいけれども。

Image_1

080 – 青春の時間

旧き友人から個展の案内が来ていた。

青春や夢を見ていた頃の考え方など色々と分かち合った友人だったが、今となっては年賀ハガキの付き合いとなっている。

連絡が来るたびに、思い出すことなど山ほどある。錆びれていた未練がましい夢に磨きをかけたくなったりする。旧い日記のページをめくると、今は昔、

「・・・ぼくは夢を持っている。だれにも言わなかった小さな秘密なのだが、スケールは大きいのだ。」

春先に栃木県に小旅行でも出掛けてこようかなと企んでいる。

Image_1

079 – 子どもと勉強の時間

今日は長女の算数に付き合った。

数学の単語が分からないので、自分も勉強しながら教えているようなもんだけれども。

長女はなんでも食わず嫌いな傾向がある。それはそれでうまく彼女の個性を尊重して育っていて欲しいと思うが、今の教育環境では彼女には相応しくないという気がしないでもない。だが、暫くは好きになってもらえるように勉強の面白さを一緒に発見してあげたい。

分数。私は意味が分からなかった。教科書を持ってこさせて一緒に予習・復習してからやることにした。最初は本当に嫌がっていてちっとも捗れなかった。プチ切れしながらも、なんとか正常に保ちつつ、上手く引き出すようにした。どうも記憶が非常に短略的ですぐに忘れがちのようだ。嫌いだからだろうなあ。徐々に褒めながら誘導していると、最後には急に悟ったみたいに一気に仕上げていった。

感想を書くところに、彼女はこう書いた。

「分数はむずかしかったけど、なれてくると、かんたんなことを考えすぎたなと思いました。」

やれば出来るんじゃんか。

晩ご飯のあとに、みんなであずきアイスを食べることにした。

Image_1

078 – サヨナライツカの時間

久しぶりにDVDを借りて家で鑑賞した。

私はこの原作の文章はとても生理的に受け付けない。前には『冷静と情熱のあいだ』の時に何度読もうとしたことか、ちっとも前に進めなかった。男の思い込みで作られた男性の勝手に思う女性像がどうしても理解できないせいなのかもしれない。

それはさておき。

この映画の素晴らしいところは、きっと全員韓国人チームで創られたところにあると思う。あんなに微妙な女性同士の間の葛藤、打算、イクサ等は韓国訳を通じてこんなにもディテールに描き上げてくれたことにひたすら感激した。

賛否両論かもしれないが、うん十年もタイで男が戻ってくると思っているなんて、男の思い過ごしにほかない。

まあ、思い過ごしも恋のうちかもしれないけれど。
82946fb367c195865dc4d5a77c3498


077 – 文学の時間

たまには文学を語りたいものだ。

学問というものは、実際に生きていく上で役に立つかどうか未だに疑問符のまま脳内に残っている。役に立つという解釈もまた議論の余地があるけれど、逆転的結論からいうと、どこかで役に立つだろうと締め括って一番無難なのかもしれない。

一方、知恵というものは、概ね生き方そのものを指すので、あれば得することが多かろうと思われる。入れ知恵でもだれかに話したくなるのは、その魅力を物語っているのではないかと思う。

学問を究めた先には生きる知恵がないと宝の持ち腐れであり、おなかを満してくれない。

文学は殆どなにも役に立たないと思う。では何故心酔するのだろうか。そこには我々人間のもっとも探究したい謎が潜んでいるからなのだ。

担々麺を食べながら、無条件に愛するこの食べ物の奥深さを改めて文学に思いを馳せるきょうこの頃です。

お出掛けしたくなる季節が到来した。

Image_1

076 – 食材の時間:どんこ

423916cb921f07854378ae3bef800e

大分県には肉厚の椎茸で有名なのがある。どんこ、という。

泥ネギの青い葉っぱと一緒に煮込んだりしたら、噛んだだけでジューシーのみならず柔らかさも楽しめるので、ダイエット食材としても人気が高い。

優しい料理なんて信じていなかった。だが、最近ものすごく健康なものばかりをご馳走になっているので、味の素や砂糖などをふんだんに使っている料理を食べると、すぐ胃もたれしてしまう。

身体は正直者だ。

075 – 春風の時間

C90b3480af8adb83df9085cf9b1ca6

朝自転車での通勤はだんだん楽になって来た。

季節感を味わえるのは空気とか食材など色々あるが、豚肉に新ジャガにカレー粉の塩炒めは、カレー風味は春風を運んでくれるかのような気分になる。これからまた色んな食材を楽しむ季節になるので、とてもたのしみにしていた。

毎日春を感じてせわしくせずにじっくり味わえたい。新鮮な食材と季節の組み合わせで。

074 – 春の時間

07e4b21b658e103ad3ea902687d3e7

風がまだ冷たいのに、季節の変わり目が感じられた。日の出は早くなったのだった。

某職場にて変わっている男の子がいて、変わり者ったらありゃしない。

タバコを吸いに一旦外に出て戻ってきたお客様に、

「いらっしゃいませ!何名様ですか〜」

と聞いてしまった始末。

オーナーもその変わったところを知っている。何度も指摘してもどうも気付かないのか、あまり変化が見られない。こういう人は雇うのかと聞かれ、すかさずに面接で落としていますと答えた。雇ったオーナーは本当に心が広い。なんで落としたかと言われたら、きっとこう答えるだろう。

「ぼくは、職人として自分を育てる余裕さえないのにましてや他人の面倒なんか見ていられない」

夢に向かうみんなは、それぞれの季節があり、それぞれの厳冬期もあって、またそれぞれの春もあるだろう。だが、花を咲かせるのには、幾度の冬を乗り越える必要もあるだろう。そんな時に誰かの面倒はきっと私には無理かもしれない。そういう心境なのだ。

ほうれん草とかきなにしょう油をちょっぴりたしてピータンと一緒に頂く。春だ。

073 – 息子の自炊の時間

幼稚園が休みなので、お昼は息子と一緒にすることにした。

パンを焼いて食べようとしている間に、自分でハンバーガーを作り出した。パンを焼かずにチーズをのせ、冷蔵庫からソーセージを出して包丁で危なそうに輪切りにしてからチーズの上に並べた。

息子をキッチンに残し、自分のパンにチーズをのせてリビングで頬張り始めた。

しばらくして電子レンジが始動した。なにしてんの?と声をかけたら、ソーセージをチンしてんの!という返事。やっぱり生だった。で、何分?と聞く。1分と返事。わかってはいる。長いよと適当に生返事をしたら、電子レンジがちょうどチンと鳴った。

「おとうさん、じけ〜ん!」と息子は叫ぶ。

火事なわけがない。うるさいと無視したら、電子レンジの扉が空いたのがわかる。

「けむり!」とまた息子は騒ぐ。

湯気だろうが!

ふきんで運ばれてきたお皿には、クリスマスみたく短く切った輪切りのソーセージにケチャップがかかっている。

美味しそうに食べている息子を飛び越えてガラス張りの窓の外は春らしき晴れやかな天気だった。

春がきたら、小学生になるのだ。

Image_1
1 33 34 35 36 37 40