137 – 映画鑑賞:「八日目の蝉」を観てきた

1) 八日目の蝉
映画より先に小説を読みたかったが、余裕がなかったために先に映画を観た。

作者の細かい描写はここでいっぱい書かれるんだろうなという気持ちが溢れていて不思議だった。でもきっと役者の表情などのおかげだと思う。小説の映画化の場合、映画は常にインデックスなのであって全てではないのだから。殴られると分かっていても言う。そこで観る人間像は深みが足りないのだ。

2) 映画と読書
同時進行で角田光代の短編集「夜かかる虹」を映画を観る前に読み出した。彼女の作品はどんな文章だったのか思い出したかったからだ。思い出せないというのは、忘れさせてくれるスッキリした浄化効果のある筆力ということだけど。

映画とは関係ないけど、どうでもいいことを文章で引っ張って行く力を持った文章。あれを思い出したかった。映像化した場合、どう化学反応するのか知りたかった。

3) 永作博美
20代で前の可愛いグループが解散し、その後の活躍にプロモーションの一環でゲストとして夜の番組に出た彼女はなにか脱皮したいというふうに私は感じたが、あれ以来はずっと努力を積み重ねてきている気がする。今回の映画を観るまでは彼女ってあまり良い脚本に巡り合えていないのかと思った。

比較的に井上真央のほうが自然で目立った気がする。なにも考えていないようでいながら、宇宙の広さを持つ若さ所以の脆さ。みんなこういうものに弱いからこそ、惹かれる。

永作博美にはもう少し自分さえも想像できない演技派的な役(?)のほうがハッキするのかも。そんな気もする。今回はそれなりに良かったけど、細かい心動きなども忠実に演じていると思う。だがしかし、なんか一点足りないという気がする。それはきっとなにか悟るようななにかを彼女そのうちあつかんでいれば・・・と思っている。

4) 小池栄子
今回は本当に目から鱗。イキナリはまり役か思った。でも、細かいところを観ていると、全て役作りの努力の結果だと分かる。彼女に期待している。オッパイはもう良いだろう、事務所。

映画のワンシーンでは彼女が井上真央にある共通した過去の話をした時、急に、やられた!と思ったのだ。地味に現れたのに訳があった訳だと悟った。その辺のやられ方に気持ち良い。

最初はかなり地味な出方だった。じつはかなりの重要性の高い脇役。映画では一切この人物の心理描写を折り込んでいない。小説ではこの人物の心理描写はどうなるんだろうと気になる。

5) 男性不在
映画全体の男性不在・男性無能の雰囲気もすごく良かった。その解釈はどっちにも転べるので、あえて意見述べずにおく。

印象的なのは、女性は、「全ての綺麗なものをこの子に見せたい」とイキイキと話している時もやはり男性不在という前提がオカシかった。これが現代日本の辿り着いた所かもしれない。

別に角田光代は、フェミニズムも男性不要も主張しているわけではないと思う。こんにちの幸せのカタチは、これだけ多様化してきて、それでもみんな男性不要の幸福のほうがあまりにも自然に選択肢として提示されている現代社会に私はそこに注目の的として見て頂きたい。男性陣に頑張らなくてもいい。お前らは自分さえ「扶養」できないし、「不要」な重荷なのだから。どう生きて行くのか、考えるキッカケとなって欲しいと思ったりする。ちょっとエラそーに言ってみたかった。

6) 角田光代
ずっとつまらない小説を書くんだなと思いながら、じつは十なん年も彼女の小説を読み続けてきた。もうストーカー的な読者といってもいい。

物書きというお仕事は、9時5時でもできるもんだと教えてくれたのは彼女だった。一時期眈々と書き続けるということについては考えたことあった。インスピレーションだとかアイデアだとか、理想ばかり思っていたけれど、考えてみればそんなのは、生活にあるのだから、必ずしも非日常を営んでいるから常にある訳ではない。インスピレーションやアイデアなんて磨きを掛けなければバッドアイデアだってあり得るのをみんな思いたくないだけだ。

〆切はいくつもあって、それでもランチは美味しいものを食べに出掛けたり夜お酒を飲んだり深夜まで編集者と付き合ったりとかもしている。と考えれば、お仕事としてどこまで考えているのかプロとアマの違いが出てくる。オチのない感想。

別篇)
ある料理学校通っているコックのたまごは杏仁豆腐を作ってシェフに試食して頂いた。全ては良いけれど、最後に舌に残る「ザラ感」がアウトとなった。それがお客さんに残り最終印象ともなれば全て台無しという訳だ。

小説も杏仁豆腐も経過は自分の経験になるけれど、読者やお客さんにとっては赤の他人なだけ、第一と残る印象が全てなのだ。特に後者は決め手になるだろう。印象の残る小説を書けと言われてもそれは読者の特権かもしれない。でも、プロならそこをなんとか具体策がありそうな気もする。

八日目の蝉が他の蝉が死んでいて、寂しいと思うのか、生まれ変わった思って生きて行くのか。7日間の経過はそれぞれの蝉生はあるけれど、もしも8日目は望む蝉と望まない蝉、あなたならどっちを選ぶのだろうか。

夏が待ちどおしい。

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136 – 農業通訳を終えて思い出したもの

先週のとある平日に静岡県に行って来た。いつもは伊豆あたりだったけど、静岡駅を降りたのは初めてだった。今回はレジャーではなく、お仕事だった。

駅から目的地の県庁署まで歩いていて、随分文化的景観のある街だと思った。もう少し時間があれば足を延ばし東海道の景色を楽しみたかった。お仕事は夕方まであるので、時間が読めないのと、あまり遅く帰るのは新幹線が混むのを避けたかったので、今回は駅前でぶらぶらしていただけだった。

余裕っていいもんだなあと散策道を歩きながら思った。浄化作用があるだけではなく、静かな刺戟がルーチンの日常生活にスパイスを与えてくれた気もした。またやりたいと願った。

今回のお仕事は通訳だった。大学時代にやっていた農業研修生通訳の依頼先から連絡が来たので、引き受けた。そもそも学生のやるバイトだったので、オトナの私が学生と奪い合う真似をするつもりは毛頭になかったものの、人手不足で引き受けたわけだ。

多言語を操る能力は、いざの時に使えるのはこういう場合のことを言うだろうか。日本語とマレー語のお仕事は、日本ではあまりにも少ない。テレビ番組の字幕翻訳くらいだった。

マレー語は随分久しぶりだったけれど、予習復習を2、3日前からやっていればかなり思い出した。若い頃の記憶ーー言語に限らずーー根深く身体に染み付いているものだと思った。今一番覚えられないのは、新しく出会うことのほうなのかもしれない。まったく覚える気がないというほどだ。

そんなわけで、きっと過去のことを思い出しながら、リサイクルで磨きをかけていればそのほうがものは上達するに違い。

よくなに料理にするつもりかと聞かれる。創作料理というと、バカにされる。どちらかというと、今まで食べた感動した料理を再現するのが本筋なのではないかと思う。

遅咲きながら、自分の料理に関する情熱を腕前で表現したいと思った。

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135 – あのボールを探して

ちょっと映画気分ではあるが、タイトルは中国映画「あの子を探して」をまじえて拝借してみた。

机やテーブルに角がたつのは、縁起が良くないと子どものころから聞き慣れた風水のお話。そういうわけで、会社の応接間に置くテーブルは、角の立たない円卓と相場が決まっている。円満に商談がまとまるようにという願いを込めて。

迷信と思うか科学でないと思うか(どっちもネガティブ?)考え次第だろうけれど、要はコミュニケーションじゃないかと思う。意思疎通出来るかどうかは相手との心のキャッチボールでどれくらい円満に収まるかにつながることに尽きる。

先日ハイボールを頼んだお客様がいらしたが、たまたまウイスキーを切らしたので、初めてオーナーがスーパードラゴンボールたるものを作った。かなり好評らしく、まだハイボールを飲んでいない身としては、ぜひハイボールもスーパードラゴンボールも飲みたいと思った次第だった。

で、スーパードラゴンボール。なかなかのネーミングだ。ドラゴンボールは救世主みたいな響きがあって、とても爽やかだった。スーパーと付くと、中国のカンフーを発揮して宙でタンカを切ってみたい気分だ。

実際そのお薦めは店主とお客様との心の通じ合いが出来てはじめて交流のできることなのではなかろうかと。当たり前すぎることだけど。多くの店ではなかなかお客様の心をつかんでいないのは、そういう会話が出来ていない証かもしれない。

自分の店を構えるなら、ああいうキャッチボールを早く身に付けておきたいと切に思うのみ。宙で3回転くらいタンカを切って。ブルース・リーの如く大叫び声も忘れずに。

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134 – 豚の角煮をネズミの餌食と思ったら甘い

飲食店ならどこも悩むことだ。どう退治するかみんなで必死に知恵を絞っているところだ。しかし、簡単に捕まえることが出来ない。それが現状のようだ。

釣りと一緒で餌さえ与えれば釣れるもんというのは、ネズミを知らない人間だ。たくさん餌をばら撒いておけば当たる確率があがるというのは単純人間の算数だ。ネズミだってそれくらいの心理学をDNAで覚えているはずだ。ここまで生き延びて来た生き物として闘う相手を知らないのは人間だけだ。

「そんなに簡単に捕まえるならコンピュータなんか要らんだろ!」

という発言も飛び出て来たが、みんな「?」という顔を見せた。まあ話題逸れるので、ツッコマないでおこう。

「だってコンピュータのほうが計算が速いじゃないですか?」

無視。

あるレストランの店長はでかい豚の角煮をおいてみたらしく、それでも「最近のネズミ」は頭がカシコくて全然食べないよ、と。もの足りないみたいだよ、とも。

そこでみんな真剣に考えていた。どんなものが足りるだろうと。豚の角煮よりもの足りるものはなんですかねえ。

と、ある主婦のばパートが参戦してきて、その話を説明したら、例の豚を見せてと。見学した彼女は、口を開けた。

「ネズミはバカじゃないんだからさ、そんなにでかい豚の角煮はだれだってワナだと思うに決まっているよ〜」

真剣に考え込んでいた全員は、バツの悪そうな顔をしてうつむいていた。

デカイ豚の角煮を捨てるほど旨くない。ネズミは鼠生、そんな甘くね�とどこか暗闇でレストランの光の元の人間をゲラゲラと嘲笑していたのだった。

P.S. 作り話ですので、ご笑納頂ければさいわいです。写真とは関係ないことをお断りしておきます。
賄いの酢豚はメチャクチャ旨かったです。ネズミに裾分けするほど、余っていません。

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133 – 大樹の下から大地を俯瞰する

仕事帰りにスカイプで家に電話したら、だれかがダラそうに、は〜い?と出た。

自分の子どもなのにどの子の声なのかが分からなかった。幼いのと兄弟のせいか、子どもたちの声は結構似ている気がする。もう少し喋らせるか、だれだと聞いてしまう。一々再確認せずにはいられないのを振り返ってみて、じつに泣きたくなる一瞬間だった。

長女が親と一緒に行動するのを嫌がる年頃ーー中学校に上がるーーまでは、あと2年くらいだろうと見ている。その後は下の子とだけ行動するかもしれないけれど、やはりそれまでにソツギョウできる自分を目指したい。言われる前に。だからこそ、せめて今は一緒にいる時間を長くしていたいのだ。

大人目線で子どもたちに接すると、どうしてもこっち側の理屈しか理解出来ない。子どもが黙ってしまえば、大人のマケだと思う。言語化する能力はまだ不充分な場合、だいたい黙るしかないのだから。

可能なら、子どもたちと同じ目線でしゃがんででも一緒に行動したい。夏キャンプでも企画してテントで寝転んだり夜空の星々を数えたりしたい。そしてしゃべった数々の会話を夜空の星々として飾りたい。

そんな6月の雨の今日このごろだった。

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109 – 笑顔の安売り実施中

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昨日は字幕チェックの仕事だった。面白く仕事をさせてもらった。4月8日(マラッカ)と22日(ボルネオ)の放送予定なので、楽しみにしている。

帰って来て久しぶりに子どもたちを外食に連れて行こうと思って提案を聞いたら幸楽苑という回答だった。いかに庶民だったかと思う一方、それのどこがイケナイだろうと自分に問いてみた。

一番の主な理由はきっと「安い=体に悪い」というところだろう。

だが、そうではない可能性が今の世の中にいっぱい出てきた。マスプロダクションによって価格を抑えることで実現できた。

幸楽苑は悪くない。強いて言うなら食べたあとのお腹が張っている感がやや気になる。この何ヶ月の無化調の料理を食べて自然に痩せてきた身としては、「安い=悪い」を否定するつもりはないのだが、応援するのに飲食店で流通している食材についてはまだ無知なのだ。

知らないとか笑顔で誤魔化してはならない食の根本的な探究を求める。身を持って体験してそして身を張って実証したことを伝えるしかない。

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108 – 友だちには秘密にしておきたい赤坂

朝からお仕事でバタバタとしているうちに向かっている仕事先の電車でひと休みしていた。目的地の駅が停まった瞬間に目が覚めた。無意味な緊張感だった。だれのために?

赤坂見附駅の周辺はそれほど詳しい訳ではない。ただ色んな店を走馬灯のごとく歩き回ったことは何回も経験した。不思議に思うことは、多々ある。

そういうところで飲食店を持つのは、家賃や人件費など維持費がさぞかし大変だろうとしか感想を持っていない。店の数と通行人の割合からみて不況なんかやっていられないと思えてしまう。料理を提供するのが目的というよりは、ほかに優先順位の高いものがランクインしている気がしてならない。道路に面している表の店はごろごろ変わっているし、まして奥に入った店なんぞだれが気づくの?と切実に知りたいのみだ。

それでもみんな引き続き店を継続したり開店したりしている。そこの経済学は興味があるものの、極める気は今のところない。夢見る居心地は良いけれど、現実でそれを支え続けるための労力は尊敬に値するが、自分のできそうにないことだ。飲食店のそういうことに詳しいお友だちが出来たら根掘り葉掘り聞きたいことが山ほどあるけれど、気を付けなくては。

前に勤めていた会社が赤坂の近くに引っ越して来たのはだいぶ前のことだった。連絡しようと思ったものの、ちょっとした距離があったので諦めた。

だれも聞いていないとは思うが、帰り道にラーメンを食べたことを告白しておこう。

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107 – あなたが知らない感謝の3つの真実

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今週はキャッチーなタイトルを絶賛考え中。

仕事として厨房で鍋を振りたいと前々から思っている。だが、そんなことを修行させてくれるところはありそうでいながらなかなか恵まれなかった。

今回東北の大震災が来て津波に襲われたりとか放射線だとかで日本中は騒がれているなか、おフランスは国がみんな帰っておいでというのを機に次から次へと色んな国の外国人は帰国ラッシュのニュースが入ってくる。これは大変だ(なにが?)と思いながら、停電だの日本経済が停滞だのと言っているうちに2つの修行先も時間短縮営業となり、暫くは店に行く必要がなくなってこれは本当に困ったと。

そうと思いながら、あれっ、ちょっと待てよ。通り掛かる中華レストランはスタッフ募集中とあるんじゃんか。キッチンの中国人が帰国したために募集中というのと、料理人の中国人が帰国中のため暫く休業というのもあった。あ〜、チャイニーズよ、謝々多謝!

危機を機会にとレストランに電話してみたら、キッチンではなく募集中なのはホールだという。ホールでもやらせてください。勉強しながらキッチンで鍋を振る機会を伺うというのもアリと思った。だが、問屋はそう下ろさんぞ。キッチンの中国人は帰ってくるとは言っていますけどねえと店長さん。

帰ってくる訳がないじゃないっすか。思った自己防衛のセリフは頭脳戦に出かかっていたものの、孫子兵法かどうか分からないが、もうひとページをめくっていたら、一歩下がれば空は広く見えるのだと。こっちのほうが戦略上良さそうだと思い、そう信じることにした。

と、その時だ。

ところで、キッチンの経験はあるの?というご質問は暗闇に輝く光に見えて来た。向こうだって予定を立てたいし、帰ってこないかもしれないくらいは分かっている。あ〜沈黙は金なり。そのあとの会話は聞かれたことを答えながらそっと自分のできることなどを会話に折り込んでみた。日本語が流暢だねえと言われた瞬間、私はプールで必死にもがいでおらず、とことんと一気に底に着いてから地面に踏んだあとの気分だった。

という訳で、紆余曲折に書いているが、念願の鍋を振る機会に恵まれたのさ。メデタシメデタシ。ジーエンド。

パート2はトゥビーコンティニュー。

106 – 窓はどこへ向かっているのか

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写真はガラス張りのマクドナルドから外を見た風景だった。

実際我々が毎日思っている世界というのは、常に「私」を軸に世界をみているのだ。その視野はまさに窓の広さで決めると言ってもいい。実際窓の外を見た風景は写真に納めてみると、フォーカスされた部分だけが浮き彫りになる。自分の見た窓と写真で納めた窓とはだいぶ違いが感じられた。

区切ったフレームワークで世界を見ると、世界が変わるのか、自分の意識が変わるのか、というお話。

自分の窓をどこまで自己管理出来て自己コントロール出来るのか、ちょっと興味があるのだ。

084 – お品のある時間

お客さんに褒められた嬉しい日だった。

とてもお品のあるホテルマンみたいだという。最高の褒め言葉じゃないだろうか。

店の方は、おがつくお品だよ?と驚きを隠せずにびっくりして頂いている。

私はやはりサービス業の人間だと思った。

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