380 – 希望のヒカリ

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船堀タワーの展望階で東京の夜景を満喫。その後地上を俯瞰する。

目の入ったのはネオンの光とスポットライトに照らされた街は、とても小さく見える。寂しくて目立つのは孤独のヒカリだけだった・・・。

人間は都会で生きていくには、孤独と背中合わせでサバイバルしていくものなのではと思う時がある。

だれかと一緒に寄り添っているとしても、心の闇に聞こえる叫びは、優しく耳に届けるのってきっと孤独というユウジンの方に違いない。

闇にいると我々はなにかと出口をサグリたくなるのだろう。その時に一番応えるのは、きっとヒカリに違いない。ヒカリを観た瞬間、人間は希望と結び付けられる。やはり生きていくのだと。あるいは生きていけるのだと。

人間は8割の情報は視覚から入ってくるというから、ヒカリは必然的な答えなのだろうか。

でも、読書など自分の今まで悩んでいたことにひらめきを感じる一節とかあるでしょう。あれは心のヒカリという。目に見えないけれど、希望を感じるあれと似た効果がある。

色々と考えを巡らせてみたが、地上に降りてくると、ヒカリに満ちた街を歩いているはずなのに、闇にいると同然のようだ。

きっと心の現れに違いない。

379 – どこからも東京スカイツリー

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夕方になって展望台にのぼる。東京の夜景を見るために。

ここは毎日のぼってもいい。無料なのだから。

バカとけむりだけ云々というモノサシ(?)は特に意味もないけれど、なんでこうも高いところが好きなのか、前日の自分の「衝動行き」の動機をもう一度確認してみたかったのだ。

ヒカリは確かに人に希望を与えるからなのではないかと。きっとそうだ。

再度夜景をみた時になぜか浮かんできたのは、『夢売るふたり』という映画だった。

主人公の板前さんは、東京スカイツリーの見える店を構えたいがために、夫婦で結婚詐欺をしてお金を貯めていくお話だ。

スカイツリーがメインではないけれど、東京の景色は何度も俯瞰的に映しだされている。

あの映画を切実にもう一度観たいと思った。あるいは何度も観ていられる。中で松たか子の演じる板前さんの奥さん役の語り部が未だに脳裏に焼き付いていて離れない。

とあの語り部を書いてみたい気持ちもあるけれど、なんだか書いてしまうと、忘れてしまいそうですごくこわい。

内なる感情がたぎられる何かしらの力を感じるのは、なにかの暗示以上のものだと信じたい。

どうにか大きな力にシフトし自分に与したい。

378 – アイスカフェラテ

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モスバーガーにてアイスカフェラテを満喫中。

おそらく多くの人々はここに来ると、一体全体モスバーガーはどうやって儲けているのかが気になるはずだ。だって人が少ない時間が多い気がするからだろう。

ハンバーガーレストランと称するには注文を受けてから作るので、待てない人は来なくていいと宣言しているようなものだ。文句あるなら来るな!とも読み取れなくもない。

それでも、文句をこぼしたい人はこぼすに違いない。

夕方ご飯を食べる時間帯にカフェラテを飲みながら、顧客をざっと計算してみた。1時間くらいで多くて10組くらいだ。半数は私と同じでコーヒーだけだったりする。残りは1000円程度のものをp注文し店内か持ち帰りだった。

フランチャイズの経営法で展開している店舗とあるが、生き残っているのだから、win-winで儲かっているだろう。

ただし店側はどれくらい儲かるかちょっと気になる。つまりwinの幅だ。

ちなみに、私はモスバーガーは高いと思うが、コーヒーいっぱい飲むなら、提供された環境としてマクドナルドよりお買得感があると思っている。

そういう需要に対して提供する店ならビジネスチャンスがあるかもしれない。

377 – 大樹の下で平等と富がこぼれ落ちている

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涼しい夕方に自転車を漕ぎだした。これから来月まではまだ夏だとは思えない涼しさだ。

昨日から同じことを繰り返して考える。

エンドユーザーとしては、自分が欲しいものなのに、世にはまだないもの・ないサービスはどんなものがあるのかについていろいろ考えてみた。

しかし、だいたい途中で誰かが考えているだろうと諦めるのがオチだ。思考を継続してなにか突っ込んでさらに考えることはあまりしないのが普通なのだろうか。だから成功しないというのもヤクソクだ。

ビジネスという観点では、既存のお客さんだけでなく、常にポテンシャルユーザーにも耳を傾ける必要があるだろうけれど、みなさんはしているのだろうか。

欲しいのにないものって、ポテンシャルユーザーを含め、どこにあるのか、我々は常に探している。

そこには創造があるのだ。

376 – いとしいエリ

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通りかかったとある閉店状態の店を指して、かつてはマレーシア人が花屋さんを経営していたのよと教わった。

結局昼間の商売に向かなくて、夜のママにモドッたという会ったことのない同郷人。

今となっては、その店は今何にも営まれておらず静かに眠っている。誰か新しい店主に来てくれるのをただ待っているかのようだ。

その方はもし日本に来なかったら、ママに目覚めることがあったのだろうか。日本は小さな店でもいっぱいあって、どうにかみんなやって行けている。とても庶民的な感覚で「水商売」ができる。

もしも自分が店主になるとするならば、なにをやるのかを想像してみた。大きくなく小さくもないそのスペースの有効性及び自分のやりたい商売がマッチングするかどうか。

その前に人に愛される商品をエンドユーザーに提供できるのか。欲しいものはなにか。その前に我がコンセプトはなにか。

考えること調べることなど山積のようだ。

商売の向き不向きは早いうち分かっていた方がいいに越したことはない。

375 – アラビアータ@サイゼリヤ

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スパゲッティやペンネなんか高校までは食べたことがなかった。

洋食屋だからかもしれない。

一時期パスタなどもよく食べていたが、やはり歳を重ねるごとに子どもの頃に馴染んでいたものを求めるのだろうか。

でも、食べ物を求めるよりも、人間はきっと味を懐かしくものなのではないかと時々そう思うことがある。

ただ味がハッキリと言えなく関連性の高い食べたことのあるものを挙例すると、それがこれまで食べてきた食べ物の名がずらりと出てくる。そういうことだと思う。

サイゼリヤは殆ど行かない。メニューを眺めているうちにやはり踵を返してほかのものを探すことが何度もあった。そこで確信した。好きではないのだ。

あの値段にしては味はそれほど悪くないとは思うけれど、どうも高校生たちの溜まり場になっているその風景はちょっとたまらない。

でも、久しぶりに行ってみた。やはり違和感が来た。

子どもも大人も安さを求めるその意味を改めて考えさせられた。

374 – イケイケ生け花

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シェアハウスでキッチンには急に生け花が生けていた。

意外と大きいので、だれもそんなのを生けているとは思えない。

聞いたら、中国人の女性だった。部屋に置いていたけれど、捨てるのに時間がなかったため断らずにしばらくは冷蔵庫の上に置いていたのだという。

でも、咲いている花々をみて、きっと住人たちは潤われているに違いない。

ハートの花も咲かせよう。

373 – 新幹線でのビール

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新幹線に乗る際に特に夕方の東京帰りは、何となくビールを飲みたい人が多そうだ。

私はというと、限定版のお弁当など非常に興味津々なのだが、なにせ夕方は中途半端な時間だったりする。東京に戻ってゆっくり食べるか。ここでご当地グルメを堪能するか。結局は新幹線内でつまみ程度の土産ものしか手を出せない。

今回は仕事でご一緒に帰られる方はとても気の利いたことにフィッシュソーセージにピーナッツにビール!を先に買ってくださった。

まずいなあと思い、私も二本ほど買おうと思っていざ探すとない!ご利用は計画的に。急いでいる時に限ってのハプニングだ。とうとう新幹線に乗る直前になり、ふとホームでの売店を見つけた。

ぷしゅっ!

この音がもたらす喜びはとても大きいと改めて思った。

夕方の夏の郡山は私をいろんな過去に巡らせてくれた。忘れていた日々を。

372 – 北上してそしてとんぼ返り

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ものを書くという行為は自己確認とか未来の自分への手紙とか色々と解釈がある。

書いているのに、考えている、という行為が伴っていないのではないか。最近そう感じている。

インプットがあるけれど、それに対してアウトプットがないのかもしれない。

書くというプロセスは、自分の考えを書き出すはずなのに、文字を綴っているだけになってしまっている。そんな気がしてならない。

北上して福島県に行ってきた。色んな人と会ってお話を聞く。そこには自分の考えというものを話しだす。話しだすと、違うじゃないかなと疑問を持ちながら、話し続ける。そうやって確認作業を繰り返していると、自分の本当に持っている「考え」はどれなのか、さらに疑問を持つ。

でも、きっとそういうふうに繰り返していくうちに自分の考えを持つのかな。

そんなことを考えた。

371 – 油淋鶏

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子どもの時から思い込んでいたことがある。

中国語では十二支の酉はニワトリの「鶏」を使うので、幼い頃から酉年はニワトリとすごく親しみを感じる存在だった。

豚肉と鶏肉をどっちか選ぶにせめられるという場合、チャーシューを除き、鶏肉を選択する確率が高い。

ああ、ごめんなさい。チャーシュー以外に次は酢豚かもしれない。豚足もはずし難いけれど。そうだ、角煮も捨ててはならない。

最近夏が特にそうなのか分からないが、若鶏や若鶏定食たるものをよく目にする。昔から子どもは唐揚げが好きなのは知っている。

それでも、北海道ラーメンの店でも、若鶏定食が一番安くラーメン類はなぜか全部700以上するという不可解な現象に遭遇する。

と言いながら、油淋鶏は深い思い出のある食べ物だ。前に修行していた香港中華料理店での油淋鶏は抜群に美味!

使っている鶏肉も一段と上だし、自家製のタレも酸味が効いていて、アツアツに揚げた鶏肉に掛けると、幸せそのものだ。

懐かしさに駆られて入った中華料理店で油淋鶏定食を頼んでみた。今ひとつだが、油淋鶏を上手く揚げる料理人はそうそういないのだから、承知の上でおなかを満たすことにした。

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