165 – 何でもない一日の時間

目の高さの棚から包丁を取り出そうとした時のことだった。

早朝のせいか、意識がハッキリしているものの、現実では朦朧状態のような、デジャヴ感がよぎった。包丁が滑って把っ手は尻もちをついて刀のカドはとんと指を引っ掛けてパタンと横に倒れてしまった。テンポ良く次の瞬間から指に血は遠慮なく噴き出ていて止まりそうにない。

こういう時は、咄嗟に取った行動があり、昔からやっていることなのであまり意識はしていない。すぐに塩を出して焼き鳥を焼くみたいに指に塩を振りかけて擦っておいた。滲み出てきた血は、すぐには止まらないけれど勢いがやや治まったように感じられた。さらに塩を振った。次にやっと痛みを感じてきた。何世紀のあとに訪れてきたかのように最初の目的はとっくに思い出せない。

切ろうとしていた野菜を改めてまな板に整えて血が野菜に付かないように時には蛇口の下で指に水を流しながら時計を眺めては仕込みをつづく。

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164 – 5月の時間

出掛ける際に見かけるマンションの庭には色んな花々が咲き誇っている。春はいつも慌ただしく過ごしてきただけに記憶には細部のディテールが皆無にひとしい私。飽きっぽい性格も手伝って興味のなかったことはなおさらだ。少し立ち止まりシャッターを押しておいた。

5月病というものが一時的に流行っていた気がした。そのせいでゴールデンウイークが終わる頃に電車が止まる回数や命を粗末にする人が増えるなと自ずと浮かぶ。ちっとも前向きな月ではなかった。

だが、レストランを開業する人間ならこの時期はかなりの稼ぎ時になるのでみんなと一緒に休もうという訳にはいかない。今回も死ぬほど頑張った。GW明けはとても気持ちが落ち着いてくる時間だ。

みんなの休みに美味しい食事を提供できるようにめざすのは何よりの目標だ。5月はさらなる邁進する月になる。

電車の事故が減りますように。命を粗末にする前に美味しいものを食べて元気に生きますように。綺麗な花々も観てあげてくださいますように。

そんな願いを込めて。

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163 – 春時々晴れの時間

サンルームからガラス越しの風景は小刻みの雨がひっきりなしに続いている。ゴールデンウイークなのに、雨の景色はなぜか落ち着かせてくれるものがある気がしてならない。GW中に雨が降るのは記憶にあまりなかったように思った。

土曜の今日のように晴れないかもしれない明日。GWの最後の休みを利用して子どもたちを連れてどこかへ出掛けようと思っている。

晴れますように。

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145 – マレーシアのほうがあついよ

人と会う度に、今日みたいな真夏日はあなたなら平気でしょう?的な質問を受ける。日本人の忍耐力のほうが遥かに上ですよ〜とでかかった咄嗟の受け答えは、自分の妄想にとどまっているようで、世界は平和で良かった。

耐えるもなにも、暑いのは暑い。電気云々はどうでもよくて、駅前で目に留まったポスターが癒される。
神津島。熱海から高速ジェット船で1時間半くらいで行けるらしい。今まで日本で見たことのない海の色合いでかなり惹かれてしまった。

背中にあつい情熱のようななにかに押さえられ、スーパーに駆け込んで、アイスを大量に買い漁り、子どもたちに食わせようと脳裏で物語が進行中。

カレーを晩ご飯に作り、スイカを晩ご飯のあとに食べようと考える。

日本とマレーシアを比べたら、あついのはどこかってすでに決まっている。

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144 – 真夏日のような水曜日

昨夜はシェフと紹興酒を呑みながら、長いこと飲食業の色んなお話をした。色んな気づきがあり、色んな発見を得て、色んな収穫をお土産に持って帰ってきた。世界は私の知っているより遥かに面白い。

新しい取り組みにやっと慣れてきたところ、浮気心でまた次の新たな仕事をたくさんして行きたい。体力勝負だけど、頭脳戦も考えたい。

昨日マレーシアの悪友と長いことskypeしたら、小学校から同じ学校だけど、親しくなったのは高校に上がってからだった。私のことを高く買ってくれるみたいで、よりモバイルな仕事が相応しいのではと忠告された。自分もそう思うのだが、なかなか思う通りにできていなかった。きっと私の思考のクセにある気がしてならない。

昨夜読了した橘玲の文庫本のあとに食品添加物に乗り換えている。またdvdを借りてきたので、気分転換して色んな刺戟を受けて今日も一日楽しみたい。

そんな暑い一日をのんびりと過ごしたい。

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143 – 旅を始めた自分の翻訳本

自分の翻訳本が自分の行ったことのない国に先に旅に出ているというお話。「ファンタジーの文法」の著者ジャンニー・ロダーリ氏はおっしゃる。

それはとても羨ましい限りのことだと。

しかし、今どきは世界へ出掛けるのにハードルとなるものは、スケジュール以外なにひとつないような気がする。またスケジュールは調整するものだし。

人間至る所、青山あり。

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141 – シンガポールに行ったマレーシア人の母国批判

シンガポールに行ったあるマレーシア人が下記の記事を引用してくれた。

Traffic jams continue at checkpoints
http://bit.ly/jKVH6c

よくあることだけど、残った人への見せびらかしになるか、自己満足に陥るなので、しないようにするのが◯◯なんだけれど、人間はみんなできていないから、仕方ないこととは思うが。

もう批判のできないことだと思うけれど、気持ち的には感無量も含め、色々と目が行ってしまうクセなのではないかと思う。

かつて私が日本へ旅立つ前にやってくれた送別会の席で、友だちは、私の当時の心境を記事にしていた。人材流出を折り込んだローカル大学へ行けなかった若者の喪失感及び彼らの求める新天地について。

“一緒に頑張った同級生は、日本へ旅立つことになった。彼は自分の全国統一試験の成績では、地元の大学なんか申請できそうにないと申込むのを最初から諦めていた。ひょんなことから、彼は日本へ行くことに決めた。そこには、本国にない自由と平等があるという。

プールから待ち合わせに来た彼とは送別会にサテーを食べることにした。彼曰く行く前にたっぷり後悔のないようにここでの料理食べて行きたいねえと言ったからだ。この人はいつか母国が愛してくれたら帰ってくると言ったが、もう帰ってこないだろうなと感じた 。希望を持っての旅立ちよりも敗北感から来た旅立ちを感じたのだ。”

記事で一番印象的だったのは、最後の文章だった。

“彼の脳味噌にサテーの串で差し込んでおきたい。マレーシアにはまだまだこんなに美味しい食べ物があることを。”

今となっては、結論を出すのはもう時は遅しだし、意味のない後付けに過ぎない。でも、サテーは今でも私の好物だということを告白しておこう。

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140 – 待ち遠しいキャンプを前に

仕事のことは基本的にだれも書きたくない。私も含め。

色んな意味で書いたあとは複雑骨折で面倒臭くて、仕えることだから、黙ったほうがいいに決まっている。

なんだか文句がありそうな書き方だけど、まあ面白く書けた若かりし頃は、もう今昔物語。それよりキャンプの話のほうが楽しみにしていて仕方ないほどだ。

だけれども、そもそも子どもたちにテントを立てたり火を起こしたり星空を観たり色々とやらせるつもりなので、キャンプそのものを楽しみにしているというのは、おかしな話だ。では、なぜ私のほうがワクワクしているんだろうか?

秋田出身の知人との会話のこと。学生時代に仕事で研修生を地方まで連れて行くことになっていたので、羽田空港で待ち合わせしていた。一緒に移動していると、彼は子どものことを思い出すねと言った。空港に来ると、いつもあのワクワク感を思い出すと言った。

きっと私はある種のワクワク感を覚えているに違いない。さてそれは何のワクワク感だろうか。

私も知りたい。今から楽しみにしているのだ。

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139 – やさしい味の始まり

日本語の世界ではいつからやさしい味というものに注目され始めたのだろう。

この20年間のあいだに、社会全体にその傾向が色んな分野でキーワードとなっている気がする。やさしいという広義的意味合いを持った言葉による解釈は良し悪しはともかく、便利ではあることは確かだ。やさしい社会、やさしい味、環境にやさしい、等々。

でも、きっと年寄りが増加すると共にそんな傾向が増してきたと思われる。では、なぜ年を取るころでしか人間は優しくなれないのかというやや乱暴な質問の仕方をすると、競争社会から離れると、そうなるのではないかと私は思う。

周りを見る余裕ができた分、自然にやさしくなれる。自分を見ているから。子どもを見ていると、赤の他人でも自分あるいはかつて自分も幼児だったことを思い出せば自ずと自分にやさしくなる原理と一緒なのだ。微笑まれて反応できる大人こそ、真のオトナだと思う。

都会では効率ばかり求められるところなので、若さ所以の不老不死を追求しがちなのだと思う。アンチエイジングも然り、自然の多いところで生活している人の発想ではない。残酷のようでいて、残酷さのうちにやさしさが育んでいるもんだと思う。

抽象的なお話は、よりやさしい言葉で説明できないと、私もまだまだオトナになりきれていない気がしてならない。

喧嘩を売られても一時我慢すれば平和が保たれる。狭い視野に集中しすぎるとなにも見えない。一歩下がれば、ほら空も広く見えてくる。

やさしい味のコーヒーを飲みながら、脳味噌が宇宙飛行するごとくメリーゴーランド。

今から週末のキャンプを楽しみにしている。

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138 – 川に出るつもりじゃなかった

いつもの週末を迎えて仕事を終えて帰っていく途中だった。

海に行きたい。その時に思った。でも東京湾はとても骨休めのできる場所ではない。もっと埼玉県の北部に北上しよう。気持ちがみるみるうちにすこぶる高まっていった。

ここまで来て、行動にうつすのみとなった。と、うちに電話して子どもたちを準備させて迎えに行くと伝え、いくつの指示を与えていた。

家事などを終えてからは1時間後、我々は嵐山町にある学校橋河原に向かった。田舎風景が眼前に広がっていくとともに車も風に乗って飛び出した。

最初はやはり間違っていた。カーナビの性能は田舎町に行くと、とくに田んぼなどでは殆ど指定できずに困ってしまう。カンに頼って人に確認しながらなんとか無事に辿り着いた。川と自然。渓流の音がBGMで冷たい水を伝わってくる。子どもたちがはしゃいでいた。お父さんはというと、ネットにつながるのに夢中だった。なんで捨てきれないのだろう。とにかく場所のアップデートと履歴を残し、子どもたちと遊ぶことにした。ただ、一緒に遊んだりするポリシーの持ち主ではない。一緒にいる時間のほうを大事にする質なのだ。いつものように放し飼いで距離を置いて見守りながら。

見ているうちに、子どもたちはだんだん遠くなっていく。川の全体は浅いのが分かっていたので、どんなことがあっても、決して落ちこぼれるようなことはないはずだ。それでも、川の向こうまで行っている。ふと気づいたら息子は流されそうだった。立ち上がろうとして、再び流された。岸の草を掴んでは逆流して戻ろうとした。でも、身体がまだ小さいせいで、水圧は遠慮なく渓流を滾らせてはむやみに押し寄せて行く。300〜400メートルくらい水圧で推されて息子は唇が震えているらしかった。ズボンを上げて早足で駆けつけて手を伸ばし、崖に落ちそうなライオンベイビーをグイっとライオンキングが引っ張りだして川を渡らせた。パンツ一丁で遊んでいた息子は、全身を震わせながらまだ遊び続けようとした。一旦上がらせて着替えろと言った。

子どもたちが用意したかばんからタオルを出そうとすると、フェスタオルしかなかった。長女になんで大きいの持ってこなかったんだ。

「だって、いつも近くの公園の川だと思っていたんだもん。こんなにデカイ川とは思ってもいなかったよ〜」楽しんでいるのを隠さなかった。私の持ってきたバティック布を包ませてパンツを脱がせてTシャツを着せた。しばらく車に休憩を取らせた。ポテチを頬張りながら上の二人の姉ちゃんを羨ましそうにウィンドウ越しを眺めていた。

近くにはBBQを楽しんでいるグループたちがいた。来週泊まりのキャンプ企画は続行することに決めた。

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