420 – 言葉がさまよう時間

言葉をさまよう、というのが普通かもしれないが。

その前に、下記の文章を書いてメルマガに出したのは、2003年のこと。

「◆文は嘘なりである

 人間は嘘をつく動物である。正直に喋れば喋るほど、広告のコピーのごとくど
こかで嘘を匂っている。誇張と嘘は違うという人がいるが、両方とも本当のこと
ではないのに共通である。人間は自分の都合の良いように言葉を選んだりするか
ら、そこにはすでに客観性が持てない。客観的になろうと思って言葉をさらに選
ぶと、事実から離れますます嘘っぽくなる。ゆえに人間は嘘をつく動物である。

 アメリカの裁判では、犯人には黙秘権があるらしい。警察が人を逮捕する際、
かならず当人は黙秘権を持っているが、しゃべったことの全ては裁判に使われる
こともある、と宣言しなければならないそうだ。なぜ本人に真実を語らせないの
か。人間には真実がないともいえる。自分の都合の良いように言葉を選ぶと、さ
きも云ったように客観性に欠けて、嘘になるからだ。だから、証拠などを持ち込
んで証明するしかない。

 じゃあ、われわれはなんで言葉を使うのか。自己弁護のためだ。自分の考えを
伝えたい。ここでいう自分の考えとは、なにも真実とか、本当のこととかの類で
はない。あくまでも自己弁護に過ぎないことに注目していただきたい。

 文は人なりというが、文はいくらでも嘘をつくことが可能だ。だから、真実は
文にはあるかもしれないが、文のままでは決してない。ゆえに文は人なりという
のは、真実性を指すのではなく人間性そのものを指すのではないかと思われる。
プラスに考えるのではなく、マイナスの意味を汲み取らなくてはならない。

 先週出したメルマガには、誤りの文章がある。山口百恵が主演したのは「赤の
疑惑」ではなく、赤いシリーズの「赤い疑惑」であった。中国語の「的」をその
まま日本語の「の」と勘違いした。さらに白血病は、血を吐かない。血を吐いた
らさようならだ。結核のほうが血を吐くのだが。

 自己弁護のために、自分の云ったことをさらに嘘をつかなくてはならない。書
けば書くほど、さらに誤りが出てくる。人間どうしは永遠に分かり合えるはずが
ないのだ。思った思われた「と思っている」にすぎない。嘘をつかないいちばん
良い方法はなにかというと、お黙りである。

 嘘に耐えられない方、このメルマガを早いうちにあきらめるのが賢明なのかも
しれない。

 そういえば養老孟司は、世は嘘のカタマリである、と書いてある。歳を取って
いると、そう思えてくるのかしらん。文は嘘なりと云ったのは、わたしではなく
故山本夏彦翁である。老人の云っていることにこんなに納得するのは、わたしに
老化が進化しているアカシなのだろうか。

 きょう、また1000字ばかりの嘘をついたことになる。」

今はそんな言葉を紡ぎ出すことができない。

僭越な考えで、言葉をあやつれるものだと思っていた時期があった。でも、正しくは言葉はなかなか私を選んでくれない。言葉がさまよっているのだ。

どう真正面に言葉と向かい合えるのか、きっと時間の要するものだろう。だが、さまよっていても、目標を掲げそれに向かって積み重ねていくしかない。

そんなことを考えた。

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