172 – 共通意識の時間

社会生活を始めるのは、だれにでもある経験だ。始めるというのは、初めての体験ということと重ねる部分も少なくない。そんななかでいろんな自分にとっての初めては大体にして他人への迷惑を掛ける時間なのではと思われる。

自分が若い時良く聞かされたのは「今の若者」論。そんな年寄りの口癖は実はローマ時代にも始まったそうなので、時代と関係なく上下関係があるところではみんなそう言いたくなる嫌いがある。

そういう年寄りに聞き返したかったのは、貴方と出会う前に、私としていつどの時点で何を学習しておいて欲しいのでしょうかと思う時がある。学校でちゃんと教わっていないのかとか、家庭で教わっていないのかとか、殆どが共通意識を持って欲しかったことなのだと思われる。

共通意識とはなんぞやという話になる。自分の会社なら自分で教育するだろうが、他人の会社でたまたま一緒に居合わせた場合はなかなか文句が言えない。それどころか「今どきの若者」は逆ギレして、何されるかわからないから黙っとこうという姿勢が逆に共通意識になっているのではと。

パラドックスを展開したくてこんな文章を書いているわけではないが、読まれる文章と読まれたい文章とは何か。

70人もの購読者が何年間も「読まされている」と、〆とか結論を出さないとかオチのない(ような?)作文というのがケンルーワールドのトクチョウはご理解頂けているのではと思われるのだが、片方だけ出しっぱなしのメルマガなので、「共通」意識ではない。

今後のケンルー節はどうあるべきなのかなと文章を綴りながらそんなことを思ったわけでございます。

世界は広し。

iPhone

Comments are closed.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。