175 – 大雪のあとの時間

非日常的な大雪の翌日、みんな朝から早く家を出て、いつもと違う行動を行なっていた人が多いようだ。

駅前のファミレスも通勤時間前の2時間あまりに余計に混んでいたらしい。飲食店の経営者としては思わぬ売上が発生しそうで、嬉しい悲鳴を上げているかもしれない。現場で働く者としてはきっと迷惑だったのではと同業者へ同情する気持ちのほうが先走ってしまった。

仕方がないといえばそれまでだ。

しかし、そんなことを思いながらも午前中にどこかに出掛けたい自分の気分転換の欲望は、月が出たら吠えまくるに違いない。非日常感に適応しようとしている自分もいる。

大きく変わると、大変なのだ。だから大きい変化が嫌われる。

でも。

気分転換って小さく変えたいのは、おそらく大きな変化への微調整なのかもしれない。そう思うことにした。

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174 – 大雪の時間

成人式の日に降り積もり続けた大雪。

もう昔みたいにワクワクして遊びに出掛けたい気持ちはさすがになくなった。代わりに後々に出てくる大変な思いの方に占領されてしまった。

成人はみんな責任を背負って生きて行かねばならぬものだ。

子どもっていいね。

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173 – 当たり前の時間

仕事から自宅に帰る道には子どもたちの学校を通ることになる。時間帯的には帰ってきているかなと思って通ってみることがしばしば。

当たり前のように帰り道で見掛けたら拾って一緒に帰ろうと思って学校の前を通ったら、息子がいた。同じマンションの良き友ヒロトくんとが一緒に校門を出たところでテクテク歩いて帰っているのを見かけた。気付かせていたら、お父さん、乗せて! と息子に言われた。

当たり前のように停まったままで待っていても乗って来ないので、はい乗って来なよ~と言ってやっと乗ってきた。

当たり前のように友だちを残してドアを閉めた。なんで? 友だちを誘いなさいよ! そう伝えるとドアを開けた。でも、口は閉じたままだった。さらになんでや? と言い、ヒロトくん、乗って来な~と私から誘った。恥ずかしいながら嬉しそうにヒロトくんは乗ってきた。

当たり前のように彼はドアが自動的に閉まる姿勢で車内側によけているのが見えた。うちタクシーじゃねえよ。ヒロトくんのお父さんはワゴン車に乗っているのを思い出した。ごめんね、自動じゃなくて。手で閉めるやつだよと教える。

家に着いた。駐車場に行くまえに、先に降りて、というと、ヒロトくんはドアを後ろにスライドさせようと模索している様子だが、開け方がわからない。息子に教えてと指示した。

当たり前のように降車して行った彼は息子と一緒にうさぎみたくぴょんぴょんして玄関に走って行った。

言葉が出なくても当たり前のように頭をぺこんとできるようになって欲しかった。

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172 – 共通意識の時間

社会生活を始めるのは、だれにでもある経験だ。始めるというのは、初めての体験ということと重ねる部分も少なくない。そんななかでいろんな自分にとっての初めては大体にして他人への迷惑を掛ける時間なのではと思われる。

自分が若い時良く聞かされたのは「今の若者」論。そんな年寄りの口癖は実はローマ時代にも始まったそうなので、時代と関係なく上下関係があるところではみんなそう言いたくなる嫌いがある。

そういう年寄りに聞き返したかったのは、貴方と出会う前に、私としていつどの時点で何を学習しておいて欲しいのでしょうかと思う時がある。学校でちゃんと教わっていないのかとか、家庭で教わっていないのかとか、殆どが共通意識を持って欲しかったことなのだと思われる。

共通意識とはなんぞやという話になる。自分の会社なら自分で教育するだろうが、他人の会社でたまたま一緒に居合わせた場合はなかなか文句が言えない。それどころか「今どきの若者」は逆ギレして、何されるかわからないから黙っとこうという姿勢が逆に共通意識になっているのではと。

パラドックスを展開したくてこんな文章を書いているわけではないが、読まれる文章と読まれたい文章とは何か。

70人もの購読者が何年間も「読まされている」と、〆とか結論を出さないとかオチのない(ような?)作文というのがケンルーワールドのトクチョウはご理解頂けているのではと思われるのだが、片方だけ出しっぱなしのメルマガなので、「共通」意識ではない。

今後のケンルー節はどうあるべきなのかなと文章を綴りながらそんなことを思ったわけでございます。

世界は広し。

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171 – 不読書の時間

近隣地域にはふたつほど大きい図書館がある。本の森に彷徨い込んでは色々な書籍たちの紐を解くのはいくつになっても好きな時間だと思う。

早朝の仕事と子どもの帰宅時間の間での行動なので、いつも30分以内で用事を済ませたい焦燥感と欲張りで、面白そうなタイトルや料理関係全般の本をパッと見てすぐにそれらを抱え貸出カウンターで申込手続きをしてしまう。

そうしてから今度家で読もうとする時間もなく返却の〆切と迫って来ると、自動機械のごとくオートマチックにカバンに入れて返却しに再び図書館へとかよう。本の運び屋さんが天職じゃないかと思うほどだ。「本好き」と言っても過言ではない。誰にも喜ばれない、社会にも貢献していない仕事なので、職業というくくりはどうかと疑問視されるかもしれない。

あまり長く続いているので、「抱負」の整理をしていると、不読書を今度ToDoリストに入れようじゃないかと思い立った。

しないというのもタスクなのだ。

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170 – 無題の時間

一度アップデートしたらなんとなく次の投稿をしたくなる癖がある。この機会を逃したらきっとまた音沙汰のない何ヶ月ぶりの無投稿だろうと思われる。

機会とチャンスの違いは何か。前者は伺うものであるのに対して、後者はつかむものだという。賛否両論だが、日本語のニュアンスをインテリっぽく見せ掛ける場合に使わせて頂いたりする。

新年の抱負をデカく大きくせずに、日々の些細なことをきちんとすると前に書いた。そのためにどうやって効率良くメモる方法を考えた。テイキング・ノーツのアプリやらツールやら試してみては挫折が親友になるばかりの繰り返し。なにが問題だろうという思いが気になってきた。集中力か?と思った。

機会を伺うのではなく、チャンスをつかめるように自分で作り立てて行くべきだよなあ。と思って毎日10分間ひたすらパソコンに向かってタイプする時空間を作ろうと。

些細なことからというのは、やはりこういう出来ることからやるにあるのだ。

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169 – 前向きの時間

新年のご挨拶を申し上げます。明けましておめでとうございます。昨年までは大変お世話になっておりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

色んな抱負を大きくデカく描いてはきたものの、日々のもっと些細なものにこだわって行きたいと考えることにした新年の願いでした。

年賀状の恒例のおちゃらけシリーズは、長女に一蹴され自分で印刷することになり、おそらく今年で最後になるかと今から反抗期の小6生を悩む我が家です。

昨年もあまり更新がなく今年も例年通りあまり更新しないだろうと思われますが、引き続きのご愛読感謝を込めて新年のご挨拶を申し上げました。

良い一年でありますように。

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168 – 晩秋とコーヒーの時間

最近コーヒー豆を買い求めては挽いたものを自宅でドリップして飲んでいる。コーヒーショップを見て入ってみようかと思っていても、自宅で飲んだほうが美味しいと思ってしまう。それは一回だけだったけど、本日のコーヒーのセクションを選び飲んでみたけれど、それが合わなくて失敗した経験があったからだ。あれからは全店舗が目に入った瞬間そのコーヒーの味は身体を遮ってしまったせいかもしれない。飲食店は顧客の心理経営が難しい。

どこかのカフェに行きたい気持ちはいっぱいあるのに行かなくなったと感じて、たまに行ってみようと思って出かけてみたくなる時がある。

特に寒くなってきたこの頃。日差しがあってガラス張りの店であればなおいい。

そう思って、タンブラーを持って出掛けたものの、スタバなんかは人出が全然落ち着かない。入店を諦めて反対側にあるアイスクリーム屋さんのコーヒーとワッフルセットが少し気になったので、入ってみた。もうひとつの理由は天井からのガラス張りで、ちょうど正午の日差しが降り注ぐ一面がとても温かそうというのも良かったと思ったのだ(スタバ人口は別のカテゴリーだろうけれど、ふつうの人はきっとそれがあつすぎて入店しなかったと思うが、個人にとってはまさに都合のいいことだ)。

南国生まれの自分がいつからこんなに太陽を懐かしむようになったのかさっぱり分からない。いろんな解釈ができるけど、元々明るい性格で明るいところが好きだとか。あるいは内面が暗くてバランスを取るために明るい場所に居たいのだとか。

占い師か、おまえ。

瞑想時間だ。

2ヶ月前に買い求めたインクがいつ経っても乾かない万年筆と、当日に見つけたドイツ製の芯が0.3mmHBのシャープペンシルを使ってみる。書き心地がとても良かったので大満足。

でも。

日記には何も書いていない。文房具ラブで終わってしまうのか。やはりデジタルデータに残したい気持ちは強いのかもしれない。

早く読み終えたい短篇集にページをめくりながらコーヒーを啜る。一短編を読み終えたところでポカポカした全身がさめないうちに電車に乗り帰路に着く。小説に出てくる女子高校生とバスの運チャンの会話が焼き付いていて頭から離れない。

日差しは暑いくらいだが、夕方に見つかると一気に隠れてしまいそうな晩秋は、もっと楽しみたいと思う。

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167 – シンセキとのつながりの時間

姉の娘が友人らと東京に遊びにくることになっていた。

日本に来てからは特にその前にも中華系のような大家族の中で深い関係でつながっていた世代ではないのだ。知らないと言ってもいいくらい遠いつながりのシンセキ。

だが、印象的だったのは、幼い頃にあったこの姪っ子はいつも礼儀正しくおじちゃんおじちゃんと呼んでくれていた。

ツナガッタのは、今年の旧正月の時のことだった。電車内で電話がなって降りてからSkypeで折り返し電話したら、姉とその家族が兄貴のところで集まっていた。姪っ子はその半年前に友だちとエアアジアの格安航空券を予約していたという。昔に乗っていた定価のと比較してみると、1/4の安さ。来やすくなった所以だ。もともとバックパックして安宿をとって回る予定だった。でも、なぜか「おじちゃん」と逢いたいと思い立ったから、兄貴に聞いてみたそうだ。すごく元気に挨拶していた「あの姪っ子」と逢いたいと私も思うようになった。不思議なつながりだ。

うちは狭くて4人も泊められないと断ったけれど、バックパックに慣れているから寝袋を持っていくし大丈夫だと言われたので、アテンド出来ないという条件で泊まるところを提供しあとは勝手に行動してもらうことに。

シンデレラがガラスのハイヒールを脱ぎ捨てる頃に車で息子と羽田空港へ迎えに行った。高速道路を走っている間に夜空はとても明るく感じた。

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166 – 秋の緑葉の時間

先日はマクドナルドで幼稚園児のうるささにキレてうるさい!!!!と睨みつけながら3、4歳児に叫んだ。泣く子も黙るならぬ叫ぶ子も黙っていた。震えていた自分のことを冷静になって恥ずかしく思った。

何に対して怒っていたんだろうと自問自答してみたのだが、釈然とせず気分に食いしばられたまま半日が潰れてしまった。

気持ちを怒りで表わしてしまうのは、表現力に欠けていると思い、書くことにした。内容はどうであれとにかく書くが大事だと思った。自己救済策なのか自己逃避なのかそれさえ言い表せないもどかしさにさいなまれ、兎にも角にも秋の空如くだった。

いざキーボードに向かってもしくはiPhone を手に指を動かそうとしても語彙のヒンジャクにレンズ豆の粒サイズに縮まったワレの自尊心。ソー・チープな自分。

マンションの庭を通ってふと見上げると、もみじの葉っぱが目に入る。新緑のような緑色はとてもみずみずしく思えた。

気分一新したような、新しく生まれ変わったような。きっとそんな願望のアラワレに違いない。

冬用のコートをそろそろ出してベランダで風と太陽にそよがせたい。

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