442 – 桜の時間

桜の花見が日本の売り物になって久しい。

世界中から観光客が日本に集まり、結局どこに行っても外国にいる気分になる。十なん年前と違うところは、すでに日本に慣れている観光客が多いにあるかもしれない。何度も来ているから、花見ならここだよ、帰りにどこどこの団子を食べたほうがいいよなど。異国に来た気分に包まれたのはこっちだけど。

最近は月の半分は海外に出張している。花見する時間も作らずにいる。もういっぱいみたしという思いが強い。

だが、先日スーツやコートをクリーニングを出しに出掛けたら目の前に満開だった。思わずスマホを取り出して写真を撮ってしまった。近くで見るとやはり美しいなあとは思う。

さらば冬ひらひらと舞い散る桜

じっとしているとそうでもないかもという思いがかすかによぎった。あのそよぐ風とのコラボこそ花見の醍醐味かもしれないなあと改めて桜を謳歌してみたくなった。

こうやってほんの少しだけのすきま時間に楽しませてくれるのは桜の偉大なるところだなあと。

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441 – 夕陽の時間

書くという癒し時間はすごく好きだけど、なかなか続かない。何とかして継続していきたいものの、どうも障害が多くて思うとおりにいかない。

iPadを購入してはや1ヶ月が経とうとしている。だんだん使い方が分かってきたので、書き散らしの日々が戻るといいなと。

昨日出掛けて喫茶店にも入ってコーヒーを飲みながらブログをアップデートしようかと思った。行ったモールは日曜の夕方でさすがに混み合っていた。喫茶店に入る前に突然電話が鳴った。仕事だった。

突然の電話で突然の頼みごとでまあよくあることでなんとか済ませたけど、引っかかるものがあり、あれこれ考えているうちにコーヒーもどうでもよくなり、真相を迫る踊る大作戦をせねばと。方々に電話して確認したり頼んできた人は怪しくないか(心では怪しいと思い調べているけど)などなど調べていくうちにひとつのことを閃いた。

“怪しいのに何故追求をやめないだろう。”

実はこういうことこそが本当に一番エクサイティングなのではないか。だから追求したいのだと。

どんなことが出るのか。騙されることも恐れることなくチョウセンし続けたいと思います!

駐車場で落下する夕陽を眺めるのは随分久しぶりだったのを思い出した。

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440 – 肉天ぷらの時間

美味しい店にはそれなりのオーラが出ているはずと思っている。人間と一緒で他人に伝えたいメッセージ性は店にもあるはずなのだから。
歩きながらこの店は魅力があるのかどうか常にチェックしている。チェックしているうちにだんだん雰囲気から分かるようになってきた。おかげで今では「見れば分かる」ようになった。
とある日のこと。店を探そうとして、小道に入ったところになんとなくさらに入っていけばありそうだなと思って案の定店があった。暖簾をくぐると、なんということでしょう!地元らしきおばちゃんおじちゃんで溢れんばかりの活気ぶりに少し圧倒された。
壁に貼ってあったオススメを眺めながら取り敢えずビールを注文した。すぐにオススメもおさえておいた。
そして、出て来た肉天ぷらが写真の通り!
旨いもなにも!
肉揚げではなく、肉天ぷら。なんだか学生食堂に出て来そうなメニューだ。何故か学生時代の食事を思い出してしまった。
そのあと焼酎を注文し、ちびちびすすりながら今宵の幸福感を満喫していったのだった。

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439 – タイ料理の時間

タイ料理は辛くて美味しい。

あっさりとしているものが結構あってとりわけサラダは別品だと思う。

昔から好きだけど、最近サッパリしたい時に良くこの一品を探し求めてタイ料理を食べ歩きしているほどだ。

先日行ったところは閉店しかけていたけど、海老サラダを作って欲しいと言ったらいいよと入店させてくれた。

注文を受けてからの手づくりでかなり時間がかかった。途中、パクチーを取ってくると言って外の庭からひと握りのパクチーを摘んできた。

海老サラダが出された瞬間からあの香味ったらない! やはりこれは心に沁みる味だなあと感激して汗が出ていた。

考えた。

料理はやはり愛情なのだ。タイ料理に込めた愛情はきっと全員幸せになって欲しいと願っている違いない。

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438 – 海辺での時間

近年日本でお正月を迎える気分が全くなくなった。どこかちがう場所で過ごすのがいいと思うようになった。

その結果昨年は日本脱出計画をした。仕事を兼ねて。
喧騒なクリスマスを過ごさずに年末年始のハッピーニューイヤーの挨拶(それほどないけれど)もなく静かに海の波を眺めながらのんびりと砂浜を歩いていた。これが望んだのだったと思えるほど海は波が高かったけど、心は穏やかだった。風に吹かれながらも冷たくはなかった。

思えば若い頃良く海に行っていたものだった。潜ったり泳いだりサカナたちと戯れたりして浜辺の屋台店で夕日を被せたイタメシを頂きながらリーマン生活の脱出を瞑想していたことが多々あったのだ。

恐らく海は気持ちを清らかにさせてくれるだけでなく、考えなどを浄化してくれてもいるのではないだろうかと思ったことがあった。ほぼ同じ経験の人が同じ狭い社会でひしめき合いながら取るに足りないことを一生懸命に悩んでいたように——今になって——思えた。あれが精一杯の人生だった。

海辺で教えてくれたこと。海が静かに囁いでくれたこと。全てはとても大切な些細なことだった。

大事にしたいものだ。

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437 – 旅ガラスの時間

ずっと同じ場所に居ると、ここではない遥か彼方のどこかへと移動したくなる。人の情というもののイタズラだとずっとそう思っていた。

また恐らく多くの人がそう思っているであろうこともあり、それももっとも私を旅立たせる一番の理由なのかもしれない。

いっときは本国に帰りたいと思っていたものの、いざ戻ってみるとどうもそこは私を受け入れてくれそうにないと嘆いていた若かりし頃があった。言葉で説明できぬ疎外感に私が襲われていた。

帰りたいのに帰る場所がない。

だが、だんだん帰る場所がないのが人間の基本ではないかと悟った頃には、私は世間のいう中年期に突入した。キャリアもない、お金もない、青春もないという三ナイだけが手のひらに宿ってなかなか離れてくれないでいた。

年が重ね心もだいぶ鍛えられて、帰る場所を探し求めることもなくなったけれど、帰るべき場所は自分の心にしかないのだと釈迦様になった思いに近い心境を味わえたこと時に私は人生がすごく前向きになったと感じる。

一方、ここではないどこか遥か彼方とはどこなのだろう。ジンセイの目標を失った代わりに生きる目的達成を求めることを生き甲斐とする自分がいた。

何故ここではダメなのか?それはきっと同じ日々の繰り返しに持たされる倦怠感が耐えられないのだろう。

旅ガラスは常にどこか遥か彼方へと向かうことを生き甲斐として日々を暮らしていくのだ。

私は旅ガラスになりたい。

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436 – スーツの時間

通勤していると色々と想い出が浮かんでくる。徒然草に思ったことを綴っておこうと思う。

スーツを着なくていい日もあるものの、どうも体裁が気になって結局毎日スーツで着こなし会社に向かう。

嫌いではない。それよりスーツがとても便利で人間性が現れてくるので、面白い着物だと思う。

ネクタイを締めない人とか色の選び方にいつも同じパターンを選択してしまう人とか。あるいは極力スーツ姿から自分というものを出さないようにする人とか。千差万別だけど、滲み出ているのだ。知らない人の方が多いかもしれない。無意識に相手に伝えてしまう自分がいること。

スーツを選ぶのに結構苦労したことがあった。丈が長かったり胸板がキツかったりとか。一着には何万円もしてサラリーマン時代は良く買ったもんだなと感心した。

今ではそれほど買わない。もうかつて投資した分が足りているから。でも、ウエストがちょうどのものもあればややキツめのものもある。そこで身体と会話して痩せようよと。食べ物に気をつけようと。

そうやって少しずつ変化していくのがちょっぴり楽しみだったりする。

人間って単純というんだっけ。

東京はすでに冬の気配がする。

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435 – 通勤の時間

離脱したつもりのサラリーマン生活が再びメリーゴーランドで戻っている。電車に揺れながら意味不明なストレスを抱えて会社に向かっている。

9時5時の生き方が自分に向いていないのを承知の上引き受けた社長業だけど、過渡期だと思っている。こういうことも必要な時があるのかもしれない。

電車で時間の活用は常に考えているけれど、どうもなにもしたくないのが本音だ。たとえそれが一時間くらいだとしてもぼうっとしたいのだ。どんだけ疲れているのだか。

目標を達成して次なる目標に向かっていきたい。

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434 – マッシュルームのようなモンブランをご馳走する時間

大使館に用があって用事を済ましてから駅前のビルを通ったら喫茶店の前のショーケースに珍しいケーキを見かけたので、ティータイムならぬコーヒーブレイクに入店した。

5時台では喫茶店には全員女性の方ばかりで本当に場違いな自分がそこにいるのも憚れていた。

コーヒーとモンブランを注文した。

シイタケのようなモンブランで、店前で外国人がマジマジシャッターを押していた。

こんがらがる頭を一旦整理して書き残したいこととやりたいことを考えて少し周りを眺めていると不思議なことに落ち着いてきた。必要なのはこういう自分を落ち着かせる時間なのかもしれない。

モンブラン効果としようと。優雅なひと時を過ごし次の用事に向かう。

433 – 刻まれずに過ごす日々の時間

漠然と書きたい気持ちがつよいのに殆ど書いていなかった。そんな繰り返しで何年も続いていた。

またそんな気持ちになってきたこの頃。きっと寒くなったからだ。いいのだ。

何年前かの投稿だった。2015年9月ごろだったのだ。

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