426 – 決断の時間

電子書籍を読みだしてから、紙の本を一切読まなくなった。良書もいっぱいあるのは分かっているが、急に老眼になったので、本屋に出掛けたりまた読後の処分にも困ることで読むといえば電子書籍のみとなってしまったのだ。

忙しいとどうしても読書なんかに時間をさばかない。情報は収集するが、書籍から情報や知識を得る選択肢はどうも出てこない。

全ては近道をさぐるのだ。

だが、明らかに進まないのは確かだ。より余裕を持って仕事を処理したい気持ちもあるものの、問屋は卸さない。

仕事が発生して飛行機に乗る時間ができた。片道7時間。これぞとばかりにこれまで未読でダウンロードした書籍を完読したい。

行きの飛行機では読書ができなかった。最後の最後まであれこれと仕事を終えてしかも深夜便ともあって、疲れ果てた身体は眠りに就きたいだけだった。

帰りは同じく慌ただしかった。だが、欲求だったのか、偶然にも結果的には予定の便に乗り遅れて1日伸びることになった。おかげで、そのまま空港で色々と済ませてはみたが、終えた気がしないのだ。

気にかけたことがひとつ。

片付けられないのは、結局私が決断すべきことなのにできないでいることだったじゃないかと悟った。

悩んでいると上手く処置できないまま時間だけ過ぎ去ることが多々あった。今回もそうだった。

空港で色々考えに耽った。

予定しない日なので、何も予定を入れないと余裕ができた。時にはそういうのが必要だ。色んなことを考え色んな意見を聞いてやっと意を決して邁進する方向が見えてきた。

帰りの飛行機で読書というミッションをも遂げられた。2冊ほど進むことができた。想像力が刺激されてとても有意義な時間だった。こういうのも必要だったのにしばらくは時間を作らずにいたから、心身とも不健康になったのではないかと思った。

さらに必要なのは、決断のみだ。タイガービールを飲みながらもうひとつ思考に耽ってみることにした。

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425 – 壁にある部屋の中の時間

壁の暖簾には、一枚もので外の太陽から浴びている陽射しを全て遮断してあった。

外の暑さを感じながら冷房のガンガン効いた部屋。冷熱も全て受けやすい造りとなっている天井からガラス張りの窓。これがマレーシアのクアラルンプール郊外にあるショールームだった。

先ほど目に入ったその一枚ものにプリントされたのは、じつに桃花源そのものだった。あたかも誰もが求めていた庭園うような憧れの家に思えた。

それぞれの家には距離があって、目の前に川が流れている。高い樹木に遮られ射し込んだ日射しは赤道に近い感じがしないのだ。もうひとつの特徴といえば、全体に漂うのんびり感が上質な時間が流れている。

私はその家が出来上がるのを楽しみにしている。近い将来に。

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424 – フェンスの中の時間

仕事でマレーシアに一週間ほど滞在した。

今回気づいたこと。うんと若い時にダメだったと思っていたことがだれかが実現して現実化したものが増えた。

例えば、住む家にフェンスなんかないところの環境がいいはずだ。でも、治安が良くなくて実現できそうにないと思っていた。

それができたのだ。目の前に現実化したフェンスのない庭園がだ。

より大きい住宅街の中にセキュリティを強化した警備員が巡回したりゲートがあったりするもの。中に住んでいる住民が安心できるように守られているコミュニティー。

だが、どうも違和感があるのにまたすぐ気づくはずだ。

生活圏の外側には、安全が未だに高価すぎる。

道で歩いていたらバイクにカバンを引っ張られて転んで怪我したり中には命を落とされたりする人もいた。

庭園の人気はますます高まる。内と外のギャップが埋まらないまま貧富の差がミゾの差異をあらわすものとなった。

日々の暮らしではそんな空気も感ぜずに私は、子どもの頃のように振舞っていた。

あの頃のように違和感があるままだ。だが、ここではないどこか自分の居場所があると思っていたのとは異質なものだった。

今感じた違和感は、ここはより貧しい国々の人々が集まるようになって、ますます私はここの人間ではないと思わされることだった。

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423 – ディズニーの時間

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ディズニーランドのそばにイクシピリアというモールがある。いろんなレストランやオシャレな店や映画館もある。

私はそこで映画を観るのが好きだ。

レイトショーを観るために、自転車を30分ほど漕いで出掛けている。今は車で行くことになったけれど、6回くらいスタンプをもらえたら1回くらい映画が観られる。

映画館が好きなのは、レイトショーにほとんどだれもいないことだ。ただ、それくらい満席率が低いと潰れちゃうじゃないかと心配だ。

とにかく、自分のホームシアターを持っているようなその感覚、私は大変満足である。

ディズニーランドの敷地内なので、帰りに駐車場までは歩くのはちょっと距離があるが、それもまた味わい深い道のりになる。

そんな映画館に行くのと帰るのは、私にとっては至福の時間なのだ。

422 – 夕空を眺めながらの時間

桜の満開は儚いからこそ美しいのならば、夕日も然り、なのではないかとそう思う。

晴れた日に夕空を眺めていると、気持ちがすごく落ち着く。こんなにキレイな自然を満喫せずにしてどうかと思ってしまう。そこからまた仕事なんかを続けなくてはならないとなると、かなりシンドい。

夕方だからって別に飲みに行きたい訳ではない。ただ、そこからの時間は、もう自分の時間でありたい。あるいは家族との時間に使いたい。味噌汁の味が街じゅうに漂っている時間なのだ。追い詰められた時間じゃない。

生き方としては、働く時間は1日にせいぜい2、3時間だろうと思う。8、9時間なんかオフィスにずっとパソコンとにらめっこするのは、ロボットに等しい。

生産性を上げるためにも夕空を眺めることを優先したい。

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421 – 冬に映画館の時間

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映画を観るのが好きだけど、忙しくなってそのまましばらく映画館に行けていない日々がかなりの間つづいた。

代わりにユーチューブから予告編を観ては、観たい映画をチェックしたりする。とはいうものの、やはり映画館で観たいものもあるし、いつ行けるかなと自分に聞いてみたりもしながら、結局この有り様だ。

しかし、ふと思った。

いつから行けるのだと言われたら、今でしょう? と答えられない今の自分がおかしくないか。時間は私の手にあるのに。

そこからは楽だ。兎にも角にもレイトショーに間に合うように映画館に行くようにした。毎週1回のペースで昔ある時期のようにかよい戻っていた。

人間のハードルは往々にして自分が一番の越えられない壁を作っている。

大スクリーンで観る映画の醍醐味は、音響ももちろんのこと、映画に適した演技などがあるからだと思う。

冷えきった車に戻りながら、映画を鑑賞した醍醐味を満喫した思いと遥か遠くに別の場所で別の人が違う運命などを辿っているのを思い出して、帰路についていくのが一番沁みてくるかもしれない。

419 – 晩秋の時間

古巣に戻って子どもたちと会った。

この1、2週間は特に忙しいものの、日曜日だけはなんとかして子どもたちとくに末っ子のムスコに会いに行く。

何もしない週末。それだけで幸せな時間が流れているのだ。

だが、いつまでもそんな日々というわけにはいかない。だから、気まぐれに我々は働くのだ。そして、またこういう何もしない日々を求め幸せを感じることができる。

夕日はビルの向こうに隠れん坊しはじめている。

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418 – 逃避の時間

逃避というと、否定形ととらえがちだけど、あるお話を思い出す。

大学生の頃に会社寮でお世話になった寮のおばさんとの会話のことだけど。

私はなにかみんなと同じことをやらされると、思いつく「解決策」は常に逃げることだった。だった、って完了形を使っていたけれど、今でもそう思っているし、そう実行しているのだが。

そろそろ社会人になると、そういうのができなくなるんだろうな。うろ覚えだけど、そんなお話を朝風呂上がりに世間話のはずみにおばさんに話したのだ。そうすると、おばさんは

逃げてなにが悪いの?

思ってもいなかった。逃避して悪いことだと思っていたばかりに目から鱗。

子飼弾氏のブログにもそのような発言を読んだことがある。

無理することこそが責任という考え方を持っていること自体自分におどろいた瞬間である。

もう今は昔となったけれど、生き方としては、相も変わらずマイペース&マイウエイで人生を充実させている。

例えば、死ぬほど忙しい今だからこそ、私は文章をつづってなんとか平常心を保とうとしているのだと思う。

初冬の朝日を浴びてファミレスで新聞をめくったり記事を噛み砕いたりコーヒーをすすりながら、私は文章をつづっていきたい。

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417 – ラーメンの時間

だいぶ前に書いたものなのだが、ずっと放ったらかししていた。

ラーメンについて思うことがあったので、赴くままに。

食べ物特にラーメンの写真を撮っては必ず共有してネットにアップしているせいもあってか、他の写真と比べると必ずといっていいほどよく聞かれる。ラーメンを食べ歩きしているよね?と。

言われて考え込む質問だ。

行動パターンを考えると、理由はもちろんある。 Keep reading →