409 – オンザロックの時間

オンザロック

福岡に出張したときに中洲の屋台で豚骨ラーメンを頂いた。

やはり東京都内で味わったあの溶け込んでいない麺とスープの融合性を中洲の本場で堪能出来た。この街は、私の凱旋を待っているのだと確信した。福岡、待っていておくれ。

その後、ちがう雰囲気を味わえたくてバーを探していた。しかし、どうもあの中洲というのは、そういうオサレな店が歓迎されていないのではと思えた。あんまりにも存在感がなかったのだ。何とか一軒落ち着ける場所を見つけたので、一杯だけにしようと仕事の相方と入店。

そう言えば最後にバーに行ったのは、いつ頃だったのだろう。

福岡の出張で色々と思い起こしてくれた。かつて求めていたのに今は忘れてーー忘れようとしたーーいる色々を。

私は福岡にモドレバかつて福岡と関係していなくても良き想い出を思い出せることに驚かれながらも嬉しい収穫だった。

球状の氷を鳴らしながら、私は味深いオンザロックを満喫した。

408 – 空の旅の時間

6月のことだった。仕事で福岡に出掛けることになった。

空の旅は辿りつく間に醍醐味があるのだと思う時の場合がある。今回みたいに。普段読み終えない本を一気呵成して読破した気持ちよさもアリだし。

空の旅

あらゆるものから刺激を受けて思考が止まらない。非日常的な時空間がこういうのがあるから好きなのだ。

機内誌を読んでそそられる旅へ出たくなるワクワク感も楽しい。実際旅に出ていなくてもだ。旅の文章は、実際行かれていなくてもワクワクを感じさせることができたならば、あるいはそれを文章で伝えていれば勝ちなもんじゃないかと。そんなふうに思える。

かねてから、そういう文章を書けるようにしたいとずっと考えていた。今でもそう思っているけれど。

なにかが自分を引き止めているのだろう。こたえが分かっている。今はハッキリと分かった。

そういうのは、きっと枯渇した脳味噌の鳴らした警鐘なのかもしれない。

良く生きていようと。

軽く誓ってみた。

407 – 旅の時間

昔は時間があるたんびに喫茶店かマクドナルドでまったりするものだった。

今は昔、休みを特にしたいと思わなくなった。年をとればしたいことが増えてきたからなのか、これまでたっぷり休んでいたことが原因なのか定かではない。

どちらかというと、積み重ねになる日常が欲しい。波乱万丈とまでいかなくてもこれまでの時間は、少しでも非日常的生活を送ってきた。ドラマチックという表現にふさわしく、旅烏が自分の代名詞と思っている。

そんな時期には、「帰る場所がない」という孤独を抱きしめ合って生きていくもんだと決めていた。

今でもそう思っているけれど、しばらくは日常を積み重ねたい。そう考えて行動した。いつかはまた旅に出る。その日までに積み重ねておく日常の重みを背負ってみたい。

一方、飛べなくなる重荷は負荷がかかってくる可能性を重々承知の上、しっかりと日常生活を送りだい。

そんなことを考えている。

406 – 平静の時間

夕日がのどかに荒川を照らしながら彼方の方で沈んでいく。

黄昏を右肩に背負って葛西橋をわたる。名の通り荒川は波の高い川なのだと実感する。

風も冷たい。

毎日江戸川区と江東区を往復して自転車で10分もかかるこの歩道橋は、ジョギングはともかく徒歩で通勤する人もいる。遥々な感じがするのにと思う一方、かかさずに日々が満たされる人はしごく幸せなことなのかもしれない。

最近気に入っている言葉のひとつには、こういうのがある。

「昨日の自分と今日の自分は、どう違うのか?」

毎日少しずつ変化をするための座右の銘にしている。

何故そうしているのか。

自転車を漕ぎながら思う。長いこと自由自在なはずなのに、なぜか閉塞感を覚えてしまうのだろう。やりたいことがあっての自由を手に入れているのに、この呼吸困難感はなんなのだと。

それは先の見えない焦燥感だと分かっていながらも進まない根本的な問題はまったく解決されていない、さらなるイライラ感のカタマリなのだ。このトンネルを掘っても掘っても光が見えて来ない。もう夢も期待も捨てようと。日々を充実したものにしよう。そう思って昨日と違う今日を生きようじゃないか。

だから、毎朝起きたら、昨日の自分と違う今日にしたい。

荒波を見届けて西葛西駅に向かっていく。

405 – 努力の時間

上を向いて歩こう!

幼い頃から人間は常に頑張るのが常識だったし、努力することが当たり前の環境で、しないことの罪深いことと言ったらない!社会の下層地獄に陥っていけとでも言わんばかりのような、そんな環境だったのだ。

だが、人生のある時点で、努力のし甲斐を失ってしまった。何のために努力するんだろうと。疑問が回答より増えすぎてだんだん努力するのを拒否して行く自分がいた。

思うにこれまでは努力って誰かに認められるためのものだったと感じた。誰かの評価を得るために努力するものだった。あるところで、その評価は自分の求めているものではないとそう感じ始めたから、努力の先にあるものを見失なってしまったのだ。

今のままの自分はなにがイケナイだろう。そう思い始めたのだった。頑張るって所詮無理することじゃないかと。

努力の裏には必ず迷いが生じるものだ。それをどう乗り越えていくかだ。努力の先にあるものを見えているかどうかもわからないのに、努力さえすればきっといい結果が出るというのはあまりにも意味をなせない。

自分にとっての意味のある人生は、おそらく誰にも理解できるようなものではない。でも、まず自分に意味がなくてはならない。努力もそうであるべきだと思った。

404 – 過去の時間

記事をまとめようと思い、過去に書いたものを読みなおす。おどろいた。忘れていた過去がいっぱいブログにつまっていた。

そんなことも考えていたのかと過去の文章から発見するばかりでそれ自体がオドロキにおどろく。ピンキリがあったろうが、連番を振ってからでも一日に一本として400以上の投稿数になる。一年一ヶ月という堆積だ。

でも、かつてならきっと心酔して読みふけっていたに違いないが、今ではまとめる作業に集中することにした。そこにはもうナニモナイのだ。あらたな未知を開拓しないとなにも生まれてこないのだと自分に言い聞かせる。

断捨離を実行するには、身辺のあるものをいかにうまく処分していくかではなく、気持ちの切り替えから始めるべきだ。そうと決めた。断捨離はいつも決断力の欠如で延々と実行できないでいたのだから。

財産は持っていると思った時点ではもう増えない。自分へ投資しつづけるこそが増やすコツなのだ。

いつもの三日坊主になりませんように。新年の抱負を心に刻み込んでそう願うのみ。

403 – 元旦の時間

明けましておめでとうございます。

振り返ることなく、前進するのみ。それが今の気持ちなのだ。

またがんばって毎日書くことをチャレンジしていこうと思う。

402 – 能率手帳を買いましたか

年末年始になると、やりたいことがある。手帳コーナーでの新商品チェックだ。

いつから手帳を使い出したのだろう。思えば営業職に就いたばかりの時のことだ。

外見への自己投資に重きを重んじる営業職業というのもあって、今ふうでいうと多少、いいね! を押してもらえるようなお金を掛けているオシャレなサービス業。

今思えば、変な自己満足でしかなったのに、世間にはそれが心理学的効用があって働く人のカンフル剤とでも思われるのか、それがとても不思議に思ったのだ。

オシャレするのは嫌いではないものの、背伸びして外見で競い合うこと自体はあまり性に合わない。だが、少々心理学作戦を利用して相手に気持ち良くさせる程度ならまあまあと私も弱い人間のひとりだったのだ。

再就職や転職したばかりとかの経験者なら、同じ心境があると思うけど、急に投資できないので買い求めるものも安くなりがち。そこでいかにオシャレに見せるかの知恵を活かしついつい色々新調したわけだ。先々の給料をシャッキンして。未来が現在に対して寛大だねえ。

スーツからネクタイや靴下など上から下まではなんとかしのげるけれど、一つには参った。手帳だ。投資したことがなかったのだ。IT系などはキャンパスノートだったよ。

新しい就職先は、ハッタリが仕事みたいなもんで避けて通れなかった。営業マンはキャンパスノートは禁物だぜ。

安いのを買うのも許されないし自分もシャクだし、高いものを買ったってどうかなと思う自分がいて・・・、悩んだ結果妥協ラインをピシっと引いて買い求めた。

たかが手帳されど手帳。

これまでメールやらリマインダーやら全部パソコンを使ってきたものとしては、なんだか、自分の存在を否定している感が否めない。でも、歩合制の世界だから、これから稼ぐのだと自分に言い聞かせて。

翌日出社して会議に集まった席で、開口一番に部長に、ちっちゃい! と言われてしまったのさ。トホホ。

手のひらサイズじゃねえよ、男の営業マン。。。確かに。カワイスギかも。。。

結局7千円くらいでA5(普段A4の紙を半分折ったくらいのサイズ)のものを買い直したのだった。見開きでA4サイズより大きく、みっともなさもなく、商談テーブルの上で鎮座させておく。

もうひとつ。手帳に埋め尽くされたスケジュールを見せるのもシゴトという手帳の使い方。いわゆる成功する営業マン。時には穴埋めのために手帳をひらいて空き時間を自分に忙しくさせることもあった。何ということだろう。

年末年始のこの時期になると、本屋でついのぞいてしまうこともしばしばあったが、結局三日坊主ならぬだいたい3ヶ月満たずに一年間のうち殆ど書き込みきれなかった。

だが、手帳のカバーは、未だに愛用している。スケジュールの代わりに、320円のノートを買って、ミーティングや仕事のメモがわりになんでも書き込むことにした。

例えば、このブログも伝えたいメッセージをノートに色々と練りながらして、パソコンに作業を移している。最近はそんな使い方をしている。

能率手帳のコーナーでは、スケジュール帳は買わないもの、上質な紙のノートなどを手触り感を確かめるのは、もう年中行事となっている。

401 – 若い社会とは

シンガポールでの出来事。

子どもたちとシンガポールのショッピング街を歩いている途中に長女が急に言い出したのだ。

「なんで老人を見かけないの?」

日本で高齢化社会に生きていることに疑問視しなくなって久しい。でも、子どもたちには、このような社会を与え続けているのも親としての責任を感じる。

老人たちは必死に生きているから、「生きている」社会になっているけれど、子どもたちに強制的にその中で生きさせてゆくのには、甚だ疑問ではあるのだ。

だから、外の世界を見ようと思ったのだ。今回のように子どもたちとシンガポールとマレーシアに行って、良し悪しを含め自分で色々感じてもらいたい。

今の日本はだれも悪い環境とは思っていないはず。だが長続きしないだろう。良さは外から観ることによって、救いたいか切り捨てたいかは、判断力を磨き上げないと簡単にできない。

今回の旅行で子どもたちは日本語しかできないことで、散々親戚たちに言われているけれど、それでも問題なくなんとかなった。私がいなくてもだ。

次回は、仕事している間に子どもたちを親戚に預けようと企んでいる。なんとかしてサバイバルしてもらいたいものだ。

400 – いつものハッピーチャイルド

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子どもを連れてマレーシアとシンガポールに行ってきた。

親バカ丸出しと言われるだろうが、我が子はやはり南国生まれの明るさをDNA的に引き継いでいるのだかもと思った。あるいは、子どもは先天的に生まれつき持っているのかもしれないけれど。

前から、なんで子どもに英語を教えないのとか、中国語が出来ないとうちとは全く通じないじゃないかとか。そう言われながらも小6の長女が一番みんなの子どもの面倒を見るし、良く子どもたちと遊んでいる。

20歳になって初めて日本語を覚えた私。あれからの人生は日本語で生きてきたようなもんだ。そのことを証明するかのように私はなにかを訴えていたいのかもしれない。

言葉を問題視している人ほどコミュニケーションが取れていないのではないかと。

宣伝病のごとくみんなと仲良くなって、どこでも遊べる。

何よりな事実だ。

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