437 – 旅ガラスの時間

ずっと同じ場所に居ると、ここではない遥か彼方のどこかへと移動したくなる。人の情というもののイタズラだとずっとそう思っていた。

また恐らく多くの人がそう思っているであろうこともあり、それももっとも私を旅立たせる一番の理由なのかもしれない。

いっときは本国に帰りたいと思っていたものの、いざ戻ってみるとどうもそこは私を受け入れてくれそうにないと嘆いていた若かりし頃があった。言葉で説明できぬ疎外感に私が襲われていた。

帰りたいのに帰る場所がない。

だが、だんだん帰る場所がないのが人間の基本ではないかと悟った頃には、私は世間のいう中年期に突入した。キャリアもない、お金もない、青春もないという三ナイだけが手のひらに宿ってなかなか離れてくれないでいた。

年が重ね心もだいぶ鍛えられて、帰る場所を探し求めることもなくなったけれど、帰るべき場所は自分の心にしかないのだと釈迦様になった思いに近い心境を味わえたこと時に私は人生がすごく前向きになったと感じる。

一方、ここではないどこか遥か彼方とはどこなのだろう。ジンセイの目標を失った代わりに生きる目的達成を求めることを生き甲斐とする自分がいた。

何故ここではダメなのか?それはきっと同じ日々の繰り返しに持たされる倦怠感が耐えられないのだろう。

旅ガラスは常にどこか遥か彼方へと向かうことを生き甲斐として日々を暮らしていくのだ。

私は旅ガラスになりたい。

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436 – スーツの時間

通勤していると色々と想い出が浮かんでくる。徒然草に思ったことを綴っておこうと思う。

スーツを着なくていい日もあるものの、どうも体裁が気になって結局毎日スーツで着こなし会社に向かう。

嫌いではない。それよりスーツがとても便利で人間性が現れてくるので、面白い着物だと思う。

ネクタイを締めない人とか色の選び方にいつも同じパターンを選択してしまう人とか。あるいは極力スーツ姿から自分というものを出さないようにする人とか。千差万別だけど、滲み出ているのだ。知らない人の方が多いかもしれない。無意識に相手に伝えてしまう自分がいること。

スーツを選ぶのに結構苦労したことがあった。丈が長かったり胸板がキツかったりとか。一着には何万円もしてサラリーマン時代は良く買ったもんだなと感心した。

今ではそれほど買わない。もうかつて投資した分が足りているから。でも、ウエストがちょうどのものもあればややキツめのものもある。そこで身体と会話して痩せようよと。食べ物に気をつけようと。

そうやって少しずつ変化していくのがちょっぴり楽しみだったりする。

人間って単純というんだっけ。

東京はすでに冬の気配がする。

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435 – 通勤の時間

離脱したつもりのサラリーマン生活が再びメリーゴーランドで戻っている。電車に揺れながら意味不明なストレスを抱えて会社に向かっている。

9時5時の生き方が自分に向いていないのを承知の上引き受けた社長業だけど、過渡期だと思っている。こういうことも必要な時があるのかもしれない。

電車で時間の活用は常に考えているけれど、どうもなにもしたくないのが本音だ。たとえそれが一時間くらいだとしてもぼうっとしたいのだ。どんだけ疲れているのだか。

目標を達成して次なる目標に向かっていきたい。

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434 – マッシュルームのようなモンブランをご馳走する時間

大使館に用があって用事を済ましてから駅前のビルを通ったら喫茶店の前のショーケースに珍しいケーキを見かけたので、ティータイムならぬコーヒーブレイクに入店した。

5時台では喫茶店には全員女性の方ばかりで本当に場違いな自分がそこにいるのも憚れていた。

コーヒーとモンブランを注文した。

シイタケのようなモンブランで、店前で外国人がマジマジシャッターを押していた。

こんがらがる頭を一旦整理して書き残したいこととやりたいことを考えて少し周りを眺めていると不思議なことに落ち着いてきた。必要なのはこういう自分を落ち着かせる時間なのかもしれない。

モンブラン効果としようと。優雅なひと時を過ごし次の用事に向かう。

433 – 刻まれずに過ごす日々の時間

漠然と書きたい気持ちがつよいのに殆ど書いていなかった。そんな繰り返しで何年も続いていた。

またそんな気持ちになってきたこの頃。きっと寒くなったからだ。いいのだ。

何年前かの投稿だった。2015年9月ごろだったのだ。

432- 帰る場所がないところに帰りたい時間

ふと何かを書き残したい衝動に駆られていた。すごく今の気持ちを書き写したい。そんな気持ちに満ちた自分は久しい。なんなんだろう。

ネコの時間というブログをずっと自分正直に書き綴っていたのは、そのつかまえきれぬほのかな不確かさだったと思う。その瞬間瞬間を書き残すことによって振り返るのにいつかしたいという消去法的な幼稚さからくるヒラメキみたいなものだ。

しかし、書かない時間が長く流れているとどうも書いた方がいいと思えてくる時がたまにだけど襲ってくる。気持ちに余裕が出てきた証拠なのかもしれない。良しと思えないのも我がひねくれ屋さんのアカシなのだけれども。

何故書きたいのか。私には書くという行為が好きというのもあるけれど、もっと大きなとらえ方をするとすると、きっと書くときの気持ちよさが抑えきれない喜びを感じるからなのではないかと思う。狂気に近い感情なのかもしれない。

そんなどうしようもない気持ちを今まで宙ぶらりんになっていて、たまに片付けたくなるのに似ている感情なのだろうか。そうかもしれない。

そうだと思う。

431 – 帰る場所がない時間

このポストはだいぶ前に書いていたもので、2015年7月とある。あの時の心境は今でも分からないのが正直な気持ち。
長らく放置していたメルマガやウェブサイトを眺めていながらも何かを書き残したい気持ちがあるものの、文字に置き換えて吐き出して書き残せない。
この悶々とするガンごとく障害たるものはきっとこのような形で表現するものじゃないだろうなと薄々感じる。あるいはもっとちがうプラットフォームを必要とするかもしれない。じつは良うわからん。
それか、それを引き起こす何かが欲しいのかも分からない。
そんなことを考えて動き出したことがある。
かつて自分はどこに属するのかいつも不安に思うことがある。
帰るべき場所と思っていたところには自分の居場所が見つからない。どことなくここではない、どこかという気持ちだという思い込みに掻き立てられて落ち着かないままでいたのだった。
だが、ある時に悟ったのだ。
場所という物理的空間にどうしてこだわるのだろう、と。
実際の居場所は心の中にあるんじゃないかと。そう思うようになった。
飛行機の中で瞑想にひたっていたデジャヴュというのもあるかもしれない。

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430 – 空白の時間

久し振りにブログを書こうと思って、振り返れば最後にブログを書いたのは昨年の正月頃のことだった。時は過ぎ去っていく。

抱負を書いてあとでまた忘れるのがオチなのだろうか。ならば言わぬが金言なのかもしれない。 (さらに…)

短歌切れぬ 自己逃避という 俳句づくり

短歌切れぬ 自己逃避という 俳句づくり

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ふと原点に 降り戻ったとこ からスタート

ふと原点に 降り戻ったとこ からスタート

前進しているつもりで、ふと振り返って、あっ、この選択は間違っていたかもと反省する時がある。軌道修正している間に気付いたら、同じ原点に戻ってきた。そこからまたスタート。

前進しているのかなって自問自答している自分がいる。

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